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H30年9月前半記:病院通いが続き、思い出集の案内状を発送、VY会・H会・K4会を楽しみました

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2018年 9月17日(月)13時57分5秒
  ●9/1(土)正午、「準備会・VY会」(香里園、大幸)の発足会に6名(2名が欠席)が集いました。発起人の私が2ヵ月間練ってきた「物故者を偲ぶつつ、皆で語るビデオの思い出集」の編纂要項を準備会の総意で確認し、発起人自ら夫々のOB会代表にメッセージを添えて直接案内状(A4一枚)を送付し、協力を訴えることにしました。3年前に開催した「VHSの立上げの思い出を語り、奥様に感謝しましょう」(約70名)では約10組のご夫妻と古参組の参加が中心になり、昨年の「8ミリビデオの思い出会」(約60名)には若手が中心に集いましたので、その名簿を整理して「投稿依頼者名簿」を作りました。8名の役割分担(編集長・写真編集・製本・パーティ会場設定・事務局)を決め、「空オケ」(アキ子)で2時間半程熱唱して親睦を深めました。
●9/3(月)午前、「関西医大消内視鏡科」で昨年に続いての「胃カメラ検査」、「ポリーブは沢山あるが良性、詳しくは消化器科医が9/7に話します」と診断。午後は竹内歯科に通院、「歯茎の歯槽膿漏値で上奥歯2本は8から6に改善、他は2-3と良好。歯磨きを頑張ってください」と診断され、治療は終了。
●9/4(火)午前、ホームドクター(磯谷クリニック)に通院、「血のサラサラ度、腎臓値(クレニアチン)、γ-GOT(アルコール度)とA1C(糖尿病)がやや上昇したが良好」と診断され、次回インフルエンザの予防接種を申込ました。
●9/6(木)正午、異業種交流会・H会(へちもんや)に馴染みの6名が集合。30中半の独身女性は「結婚する気はない。私は性格が強くて何でも受け入れてくれる男性を好むが、そんな男性は20代を好む」、喫茶などの憩いの場を運営する名張人は「家内がボケ出し、手が離せなくなった。今日も直ぐ帰宅する」、照明機器会社を退職した都島人は「江戸時代から引継いできた指物師の父の跡を継がなかった。性格の全く違う娘2人の孫の世話をするが家内は無関心。妹婿はパナでビデオ開発に携わった」、多種多芸の松山人は「両親は90歳超え、父はケチでお金を出さず、母の年金で暮らす。母が調理した新鮮な料理しか食べない」と現況を披露。3人が空オケ(ラウンジ陽子)に出向き、ママから新曲3曲を教わりました。
●9/7(金)午前、「関西医大消化器科」に通院、「5㎜~1㎝程のポリーブは5個より増えたが、大きいものは成長していないし、癌にはならない」「腸のポリーブは5㎜程で小さいが、5-6年先に癌になる可能性は胃より高い」「血液サラサラ剤を1週間止めると、脳梗塞になる確率は5%」「今元気に暮らす大脇さんには危険すぎて、勧めない」と診断され、「私の命は後5年か!」「危険を冒すこともないか!」と納得。
●9/7午後、「K4会」(美の里)に4名が3ヵ月振りに集合。香里園人(元人事職)は山登りのトレーニングに励み、枚方公園人(元人事職)は詩吟教室通って美声を磨き、交野人(元経理職)はラグビークラブの熱血応援団、私は「物故者を偲びつつ、皆で語るビデオの思い出集」の推進に没頭…の話題で盛上りました。夫々が新曲を仕入れて2時間程熱唱した後、場所を移動して夕食懇談(総本山)、楽しい一時を過ごしました。
●9/10(月)午前、家内が「ほりのうち整形外科」で骨補強剤の注射。「必ず7日以上空けるように」と忠告され、次回は祝日が続くので9/18(火)に予定。「ほねプラスサポートセンター」から会報が届きました。
●9/14(金)午前、「星ヶ丘医療センター」に家内を引率。腰痛と骨粗鬆症の「MRI検査」と腰痛の原因となる「子宮癌」(婦人科)の検査を受診しました。MRI検査結果は「ほりのうち整形外科」に報告、婦人科は次回の受診で詳細を報告、「骨は脆く、2つ目の圧迫骨折ができそう」「癌は見当たらない」と診断。朝早く出掛けて健康保険証を忘れて医療費100%の支払、財布が空っぽになり、外食も出来ませんでした。
●9/15(土)、約2週間掛けて「思い出集に投稿願いの案内状」を発送しました。元役員(社長・副社長・専務)、約20のOB会代表(NV会・OR会・元職会・同期会・趣味会・同好会・2つの思い出会の参加者・物故者縁の有志…)、約20名の個人に、協力依頼のメッセージを夫々に添えて約50通を発送して終了。投稿依頼者のメールアドレス名簿(約180名分)を作りましたが、残りの営業・経理・岡山工場・S45年同期会の名簿を加えると300名超えと推定。今回は各OB会に登録していない方は対象外にし、デジタル情報の投稿に限定しました。「素晴らしい企画に賛同します」「壮大な計画に感動しました」「短い期間の在職だったが、懐かしい思い出を綴ります」…沢山の激励の返信を頂き、早速1通の投稿を受付ました。「1インチVTRからスタートした業務用も対象に入れて欲しい」「沢山の物故者の推薦」があり、反響は上々。(H30.9.16)
 
 

H30年8月後半記:M4会・HOT会・VEOB会・M6特別会を楽しみ、家内の骨補強剤注射を開始

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2018年 9月 2日(日)22時28分38秒
  ●8/20(月)夕刻、「M4会」(北新地、へちもんや)に4名が集合。3ヵ月前のこの会(5/8)の帰り道に転んで足を骨折して以来の再会、この間に2人の同期の友を見送り、ビッコをひきながら九州旅行し、入浴デイサービスを受け、サッカーW杯と第100回記念高校野球の熱戦に釘付けになりました。甲子園人は1週間余入院、福山人はガンバ大阪の大フアンでホーム試合には暫し観戦するも勝ちゲームがなく、互いに積もり積もった話題で盛上りました。2次会は京都人が通うギターとピアノ演奏で空オケできる「ラウンジ」(エデンの東)、店名は人気絶長の20代半ばで交通事故死したジェームス・ディーンが一躍スターになった映画のタイトル。マスターから「どんな曲でも伴奏します」と言われ、中高校時代にヒッチコック監督の洋画を見始めて虜になり、大好きだった「雨に唄えば」(1953年、デビー・レイノルズとジンー・ケリーとドナルド・オコーナー)の主題曲(英語版)を唄って大満足、当時は日本でも大ヒットしました。新しい店回りは新鮮で全員がご満悦、福山人の最終新幹線に合わせて解散(22時頃)。久し振りに遅い帰宅になり、暫しトラブル帰りする爺さんに孫は物凄く心配しました。
●8/23(木)正午、「HOT会」(仮称)に仲良3人(香里園人・守口人・私)が香里園駅に集合。私市人が亡くなって初めての「3人昼食会」(大起水産)、お互いに80代を超えて夫婦共々昔の元気は無くなりましたが、ビデオ事業の創成期から苦労を重ねた仲間で昔話は尽きず、香里人は下戸、酒好きの守口人と2人で寿司の代わりにあてを注文して熱燗を交わしました。守口人はほろ酔いで上機嫌で、「久し振りに3夫婦で食事会をしょう」との提案に賛同。隣の喫茶店(サンマルク)に移って併せて5時間程放談が続きました。「昨日は帰路あちこちにぶっかって家に辿り着いたが、楽しかった」と守口人からお礼のメールを受信。
●8/24(金)午前、「やまのうち整形外科」に家内の通院。「深刻な骨粗鬆症で圧迫骨折の跡がある」「食事療法では追いつかないが、カルシュウムの多い食材は食べた方がよい」「骨を補強する注射は2年間、その後は現状維持の注射がある」「自宅で毎日行う方法を勧めるが、当院で週1回規則的に行う方もある」と診断され、「注射は今日からこちらでお世話になります」「昨年CPスキャンとMRIで腹部の内臓と頭部の癌検診を受けた。子宮癌は腰痛が出ると聞きました、星ヶ丘医療センターの婦人科と整形外科でMRI検査を受けたい」と申出、予約を取り・紹介状を書いて貰いました。
●8/25(土)午後、「VEOB会」(祇園、ひろべ)に還暦を迎えたばかりの新人(高槻南平台)が加わり、60代を中心に9名が集合。半分が現役並みに仕事(ベトナムのソフト会社の日本支社長・上海の家電会社の技術顧問・探知機メーカーの技術責任者・中小企業の経営コンサルタントなど)を続けていますので、10年以上仕事を離れている私はもっぱら聞き役。空オケタイムでは夫々がユニークな選曲、最後に「今日の日はさようなら」を全員で合唱して解散。帰路3名が樟葉駅で途中下車、レストラン街の九州メニューの居酒屋に立寄って2次会、豊後鯖(養殖)の活き造りや宮崎とりの網焼などを注文、いつの間にか店は多くの若い女性客で満席。帰宅すると孫の友達3人が訪ねての「お泊り会」、夜遅くまでダンスやおしゃべりで賑やかに遊び、翌日の昼まで寝ていました。孫は「ジィジィ、今日は疲れたから早く寝るよ」とお休みの挨拶。
●8/30(木)午後、「M6会特別会」(香里園、Akiko)のローカル開催に米子・高松・宝塚・甲子園の遠方からも暑い道中に拘わらず馳せ参じ、総勢8名(6月の九州旅行メンバーに2名が加わる)が集合。ママ姉妹があてをいっぱい準備、店貸切でビール・ウィスキー・焼酎・熱燗の飲みながらの3時間の懇談と熱唱、大変盛上り、全員がご満悦。帰り際にママから「今日は酒豪揃い、随分飲まれました。皆様お品がいいですね」と耳打ち。次いで直ぐ近くの中華料理店(大幸)で夕食会、ビールと紹興酒の酒盛り。20歳程(60中半から80中半)の年の壁の隔たりもなく、自由奔放に楽しい一時を過ごしました。「来年はこのメンバーで博多旅行をしよう」との提案に全員が賛同、次回はツインタワー(最上階レストラン)で11月開催を決めました。翌日樟葉のカメラマンからアルバムが届き、「全員が楽しそうに熱唱する表情」に世話役として安堵しました。
●8/31(金)午前、家内の骨の補強剤の2回目の注射(ほりのうち整形外科)、「血液検査ではカルシュウム値は正常だが、骨はカスカス。他の数値に異常は見られない。この注射の副作用として腎臓(クレニアチン)やカルシュウム値が異常に上昇することがあるので、適時チェックして治療する」と診断されました。(H30.9.2)
 

H30年8月中半記:いとこ会・孫の誕生会・エレガンスサロン・16日間の甲子園の熱戦を楽しみました

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2018年 8月22日(水)23時07分50秒
  ●8/14(火)正午、「男いとこ会」(がんこ京都駅ビル店)に3人が集合、早速生ビールで乾杯して喉を潤し、夫々の好物料理を2-3点ずつ注文して突き合い、焼酎ボトルを飲干しました。守山のいとこは「市のパソコン老人教室の指導員を辞めてからは毎日が暇、物忘れがひどくなり耳も遠くなった」と嘆き、京都のいとこは「肺癌は完治できず、月2回の抗癌剤治療を続けるが、一年後に再発の虞がある」「来月白内障手術をする」と話し、私は「足を骨折して2ヵ月ほど苦労し、耳も遠くなった」とお互いに老化を内訳ました。
●8/15(水)正午、「孫の誕生会」(枚方、明月館)を約2週間遅れで開催。人気焼肉店だけに予約時刻の20分程早く着くも駐車場は満杯で辛うじて一番奥隅に入庫、店先は順番待ちのお客さんで大賑わい。孫は爺さんと婆さんの間に座り、婆さんが誕生祝を渡すと大喜び。味が濃いのでお父さんと爺さんはどんぶりご飯を注文、5人で約1Kgの肉をもくもくと食べ、全員が大満足。3人の子育て中はよく夕食に通った店で当時はよく食べて出費も嵩みましたが、今はフルコースのランチメニューが出来て家族連れで賑わっています。片言の日本語を話す中国人がレジを務め、人手不足の深刻さを垣間見ました。1週間の塾の夏休み中は孫家族と夕食団欒、塾の送迎から解放されたお父さんと久し振りの晩酌が続きました。
●8/16(木)、終日甲子園野球を観戦。第1試合(8.00開始)の「愛工大名電」は報徳学園と似たチーム特性(強打と軟投)、本塁打を打つも連打が出ず「2-7」で大敗、愛知県勢の迫力不足に落胆。第4試合(15.30)の「大阪桐蔭」は高岡商の制球力抜群の好投手(山田選手)を打ち喘いで11Kを重ねての「3-1」で辛勝でしたが、強打と安定感のある2人の本格派投手リレー(横川・柿木)で優勝候補の片鱗を見せました。
●8/18(土)午前、甲子園の準々決勝(第1試合)の「大阪桐蔭」は強豪・浦和学院に11-2で快勝。前2戦完封した本格派好投手(渡辺選手)を4本塁打(根尾・藤原2・石川選選手)で打ち崩しました。他の3試合とも3-2の接戦、日大三は8回裏に金足農は9回裏に一気逆転の勝利が印象的でしたが、大阪桐蔭の集中力と強打が際立ちました。8/20の準決勝の第2試合で「大阪桐蔭」と「済美」の対戦になりました。
●野球観戦途中に「ほりのうち整形外科」に通院、「骨折は完治していないが、強度的には大丈夫。たまに外側の補強骨が成長し過ぎて神経に接触することがある」と診断、骨折して丁度100日後でした。
●8/19(日)夕刻、「異業種交流・エレガンスサロン」(北新地、モナリザ)に6名が集合。化学屋3人(パナ・ダイセル・花王)が異常気象の議論を始め、「今年台風が多発しているのは赤道直下の海水が0.5°C 上昇して蒸気が発生しやすくなったため」と結論。次いでネパールの風土病(沃素欠乏症でこぶができる)のボランティア活動する寝屋川人から現地訪問報告…ネパール人と結婚して授かった娘さんが風土病に罹り、以来父娘で風土病撲滅に取組んで十余年。「フジッ子」を協賛企業にして「補給剤」を開発して現地の国立病院で実証実験して完治した元患者の元気な姿と再会、「娘は現地に密着して井戸掘りなどのインフラ支援活動も行い、市民から物凄く信頼されている」と内訳ました。ネパールは人口2.500万人、観光業と農業が主産業で失業率が高く、首都・カトマンズに300万人が集中。鉄道もなく、インフラも整わず、地震の復興も遅遅と進まずの状況。しかし天気の良い日はヒマラヤが眺望でき、世界の隠居者が長期に過ごせるリゾート開発をすれば、「ビジネスチャンスがいっぱいある」と芦屋人に話すと、「ベンチャーをサポートした昔のエレガンス会を思い出します」と懐かしみました。うっかり4時間近く過し、和歌山人が「終電に遅れる」と吐露して解散。
●8/20(月)、甲子園の準決勝に釘付け。第1試合は「金足農」(秋田)の本格派の吉田投手が5連投して「日大三」(西東京)に2-1で辛勝、第2試合は「大阪桐蔭」(北大阪)が「済美」(愛媛)の軟投派の山口投手を打ちあぐねましたが、強打を集中して5-2で快勝。8/21(火)午後の決勝戦では吉田投手も大阪桐蔭打線に手こずり、全力投球して4回に集中打を浴びて疲労困憊、秋田大会から11連投して初めての救援。その後も強打が炸裂して13-2の大勝、春夏連覇を目標に厳しい練習を乗り越えての見事な2回目の連覇。全56出場校が打倒大阪桐蔭を目指すも、そのプレッシャーを跳ね除けた戦力はずば抜け、特に柿木投手・中川・尾根・藤沢・宮崎内外選手の活躍が際立ちました。県が強化戦略練った県立「金足農」(公立高)は「秋田出身の9人野球」を貫いての活躍で地元は勿論、全国がフィバーしました。(H30.8.22)
 

H30年8月前半記:夏の甲子園が開幕、VY会・M7会他を楽しみ、家内の骨粗鬆症の診断にショック

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2018年 8月13日(月)08時38分38秒
  ●8/1(水)正午、台風12号が通り過ぎても猛暑日が続く中、香里園駅前に「新チーム」の4名が集い、食事処(中華料理・大幸)に出向きました。6/24にビデオ事業の創成期から中小企業並みの波乱万丈な苦労を共にした親友を亡くして「思い出集の制作」を思い付き、急遽発起人になり、故人と縁の有志5名の賛同を得て準備会「VY会」を結成、その予備会(2名欠席)になりました。事前に3-4のOB会で相談を持掛け、多数の賛同を得るにはタイトルを「物故者を偲びつつ、皆で語るビデオの思い出集」に名称変更、これまで2つの「ビデオの思い出を語る会」を開催しましたが、今回の第3弾で総集編に仕上げたいと思います…「VHS立上の思い出を語り、併せて奥様に感謝する会」(H27年新阪急ホテルで開催、参加者約70名)と松下寿や中研も含めた「8ミリの思い出を語る会」(H29年IMP最上階パノラマレストランアサヒで開催、参加者約60名)。前2回は名簿作りが大変でしたが、今回は各OB会の代表者から案内状を送付して投稿をお願いすることにし、案内状と投稿依頼名簿(元社長を含めて約150名)の原案を8月末までに完成し、9月早々に発送することにしました。事務局(放出人)と編集長(樟葉人)を決め、次会で写真編集・校正・製本・会計・記念パーティ準備(1年後)などの役割分担をします。ボランティア精神旺盛な世話役でもチームの心が通わないといい結果が生まれません。世話役会後に空オケ(Akiko)に出向いて熱唱し、懇親を深めました。
●8/2(火)午後、家内が腰痛を訴え、「ほりのうち整形外科」に通院。「骨粗鬆症でカルシュウム補給薬剤はない」「現状維持の注射は2年が限度、その後は痛み止めの薬と車椅子の我慢生活になる」と診断され、コルセットと痛み止めを貰いました。8/5(日)-6と帰宅しましたが、「動くと痛い」と訴えました。結婚当初から牛乳やチーズ・小魚が嫌いでカルシュウムの摂取不足の積重ねた結果と予測、心配が1つ増えました。
●8/5(日)午前、「夏の甲子園高校野球100回記念大会」は一世を風靡した松井秀喜元プロ野球選手の始球式で開幕。野球一筋に体を鍛えてきた球児の俊敏な動きに元気を貰います。これまでは出身地の愛知県勢を応援してきましたが、近年はめっきり弱くなって応援のし甲斐が無くなり、今は圧倒的に強い大阪の応援に熱中です。朝起きると先ず甲子園の熱戦を見ながら、一日が退屈せずに過ごせます。8/7の第2戦で「大阪桐蔭」は軟投の投手(作新学院)を打ちあぐねましたが、3-1で辛勝、桐蔭の打球の速さは圧巻。8/9の「愛産三河」(東愛知代表)は「家康を仰いで天下を取る」と応援しましたが、反撃の糸口もなく0-7(横浜高校)で敗退、8/11の「愛工大名電」(西愛知代表)は10-0(三重の白山)で快勝。
●8/8(水)午後、孫は塾通いで留守でしたが、孫のお友達の親子2組が訪ねて3家族交流会。半日過ごした婆さんを施設に送って買物から帰ると、慣れ親しんだ園児が2階から降りて来て、「お爺ちゃん、TVを見たい」と乞われ、孫が留守録した番組に見入るとおねいちゃん2人も加わりました。晩酌し始めると爺さんの食べ物に興味を持ち、「僕も食べたい」と乞われ、煮魚を一箸口に入れると「美味しい」と言いながら、3-4口食べました。孫の小さい時を思い出しながら、男児の可愛さに元気を貰いました。
●8/9(木)正午、曇天で湿っぽい風が吹く中、「M7会」(北新地、穂の河)に5名(欠席2名)が3ヵ月振りに集合。大江橋駅で中研人とばったり会い、「一昨日の夜遅くまで甲子園人と京都で飲みましたが、元気でしたよ」と聞き、安堵しました。早々に甲子園人が「足から黴菌が入り、歩行困難で8日間入院したけど、病名不明でした」と話し、守口人(老人会長)は「高齢者を観察していると、長生きする人は苦労を重ねて今も頭がしっかりしている人」と貴重な体験談を披露。妙見坂人は「欠席した金沢人とは今音信不通で入院中の様子。彼と一緒に年末の北陸温泉旅行の世話役をします」と快諾、私から「Jパングの和倉温泉の2次会付の豪華ツアーを紹介、場所には拘らず空オケだけは計画に組込んで欲しい」と要請しました。空オケが得意でないメンバーですので、2次会設定は止めました。研究所メンバーが入った真面目な技術者OB会、ビール・ハイボール・熱燗などで工夫の凝らした会席料理を賞味し、楽しい一時を過ごしました。
●8/11(土)午後、「香里園ブラ」(Akiko、大幸) は「M6特別会」(月末)と同じ時刻と場所の下見。空オケは8名の満席、熱燗の準備を頼んで3時間賑やかな熱唱が続き、中華のメニューも確認。孫の土産を買って電車に乗ると直ぐ転寝して中書島まで乗越し、孫は心配して頻繁に電話を掛けてくれました。(H30.8.13)
 

H30年7月後半記:3ヶ月の入浴デイサービスを終了、京響・よし春会・E杯幹事会を楽しみました

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2018年 7月31日(火)23時18分31秒
  ●7/22(日)午後、「京響定期演奏会」(北山、京都コンサートホール)に家内と出掛けました。5月の会は足の骨折で、娘夫婦にチケットを譲りましたので、4ヵ月振りになりました。稀な曲を選曲する下野竜也常任主席客員指揮者…野本洋介編曲の「シューマン(1810-1856)の天使の主題による変奏曲」からテーマ(3分)、2016年に初演された尾高惇忠(1944~)の「ピアノ協奏曲」(30分)を野田清隆がピアノ独奏、ブルックナー(1824-1896)の「交響曲第1番ハ短調WAB101」(48分)の3曲。1曲目のシューマンの曲は讃美歌のような清涼で静穏、オーケストラの本領が試される曲で「ウィーンフィルが得意とする曲!」と咄嗟に思いました。2曲目は2016年に日本フィルの定期演奏会で広上淳一指揮、野田清隆のピアノ独奏で初演された現代音楽、演奏後作曲者も登壇して拍手喝采に応える珍しい光景に出会いました。3曲目は小学教員や教会のオルガニストを歴任し、終生ウィーンで暮らしたブルックナーが作曲家として修業中に完成した作品(42歳)…「寄せて返す荒波のように、音の魂が心身に降り注ぐ、ふとした折に美しい響きとメロディが現れ、物凄く心に沁みる曲」で、ブラームスを彷彿させる迫力のある曲でした。下野指揮者の選曲には何時も期待と感動があります。
●7/24(火)午後、「入浴デイサービス」、職員の皆様から「大脇さん、来月から来なくなると淋しくなるわ、また何時でもふらりと訪ねてください」「大変お世話になりました、また体調を崩したらお世話になりますよ」「1週間でスイカが4個から10個に増え、カラスが偵察に来ている」「来週あたりが収穫時になりそう!」と会話を重ねました。20代の若手職員が新聞記事をネタに熱中症や都道府県の特徴などのクイズゲームを進行し、参加者は熱心に答えました。利用者の1人が「皆さん、よく知っているね」と感心していました。何時もの顔見知りのメンバー多数に出会い、猛暑の中でも利用者は減っていないようでした。
●7/27(金)夕刻、「よし春会」(京橋、御馳走よし春)に8名が集い、甲子園人は体調不良で入院(7/30に退院)、芦屋人は奥様の退院日で急遽欠席。猛暑日が続く中、陽が落ちてそよ風が吹く涼しげな夕方、お互いに元気で参加できたことに感謝して乾杯しました。何時もの近況や昔話の雑談で盛上り、何を食べて飲んだかを忘れてしまいます。松愛会の地区担を務める香里園人は「後期高齢者宅を毎年見舞訪問するが、歓迎する人と不愛想な人に分かれる。玄関の様子でその差がはっきり分かる」と貴重な話を聞きました。世話役から「会長、そろそろ皆で語るビデオ史の紹介を…」と促され、当初は「6/24に亡くなった同期入社の友を偲びつつ」のタイトルにしていましたが、急遽ビデオの創成期から活躍された7名の物故者(技術・商品企画・営業・輸出・中研)に変更して、「物故者を偲んで、皆で語るビデオの思い出集」の出版(および記念パティー)の協力をお願いしました。特に元社長の協力を得るには対象者1名だけでは悩まれると察し、投稿対象者もビデオの創成期から携わった人でOB会にも積極的に参加している人に限定することにしました。多くの意見を聞くことの大切さを改めて痛感し、発起人1人で悩んでいた構想も煮詰まり、総仕上げの第3弾のOB会を目指します…第1弾は「ビデオ技術部時代のVHS立上の思い出を語り、併せて奥様に感謝する会」(H27年新阪急ホテルで開催、参加者約70名)、第2弾は松下寿や中研も含めた「8ミリの思い出を語る会」(H29年IMP最上階パノラマレストランアサヒで開催、参加者約60名)。
●7/30(月)正午、「E杯世話役会」(サンゼリア香里園店)、京阪がパンタグラフの故障で3時間運休して芦屋人は京橋で足止めになって欠席、藤田川人と2人で打合せ。9月後半に前回の店での開催を決め、数名のキーマンと事前調整して決めることにしました。2人で2時間程空オケ(美の里)して猛暑の中を帰宅しました。
●7/31(火)午後、3ヵ月お世話になった「入浴デイサービス」の最終日。施設の利用者は殆どが90歳前後で、病気の後遺症や老齢化で弱った人が多く、ここを卒業する人は10年間で3例目だそうです。「大脇さんは新鮮だった、淋しくなるけど時々顔を出してくださいね」「菜園は台風で乱されたけど、是非最後の確認してください」と職員から言われ、スイカを持った写真や全員が勢揃いした写真を撮って貰いました。職員の皆様への感謝の気持ちを綴った「入浴デイサービス日記」を編集し、お菓子を添えてお礼をしましたが、介護保険の管轄で贈呈品は固辞されました。過日病院に入院(肺炎・心不全・白内障手術)した時は看護師さんの優しさに物凄く感謝しましたが、今回は全職員(介護士)に感謝感激しました。(H30.7.31)
 

H30年7月前半記:いとこ会・若手OB会・W杯決勝戦・入浴デイサービス・香里園ブラを楽しみました

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2018年 7月22日(日)22時18分44秒
  ●7/11(水)正午、肺癌と肺炎で2度入院した京都のいとこ夫妻と2家族4名で「快気祝」(土佐料理・司梅田茶町店、阪急インターナショナルのBF1)を行いました。家庭料理の30程の小さな小鉢に、茶案蒸し・鰹のタタキ・揚物などが出る少量多彩な料理は高齢者や女性の好みでした。いとこは退院後初めて日本酒を飲んで大喜び、控えめに飲むも早目にほろ酔いになりました。入院の話・長く寝込んだ親の介護の苦労話・次のプランの話などを話題にして和気藹々に盛上りました。食事後も3番街の広いフードコートでコーヒーを飲みながら話題は尽きず、夕刻に別れました。「残す人生を心の通った人と団欒するのが一番楽しい」「元気な間にしたいことは何でもしょう」とお互いの心境を打ち分け合いました。
●7/13(金)夕刻、岡山工場に配属された25名の「S54年入社の同期会」(守口、柿右衛門)に甲子園人(31年入社)と私(35年)が特別参加しました。まだ現役で活躍中のシニアーですので所用で欠席者が多く、5名が参加、どの顔もよく覚えていましたが、名前は直ぐ出ませんでした。3人が職場のマドンアと職場結婚、奥様もよく覚えていました。VHSが軌道に乗り出して私が開発技術部長や8ミリのプロジェクトリーダー(開発室)を務めていた頃の新入社員、当時の懐かしい思い出話や甲子園人(当時事業部長)が松下幸之助相談役や松下正治会長との秘話を吐露して盛上りました。VHS全盛期にビデオ事業部に配属されて自主責任意識を徹底的に鍛えられ、その後夫々が責任あるポスト(役員・事業部長など)に就いて活躍されました。私とは20歳ほど若いOBでしたが、年齢差も感じることもなく大変楽しい一時を過ごしました。
●7/16(月)の早朝、W杯決勝のフランスとクロアチアが激闘して4-2でフランスが優勝。目覚ましで起きて深夜に観戦、クロアチアが個人技と組織力で6割方ボールを支配しましたが、フランスは自陣ゴール前にブロックを作り、ボールを奪った瞬間にエンバペ(19歳、4得点でヤングプレー賞)の驚異的なスピードでカウンターを狙いました。セットプレーとロングシュートが勝負の分かれ目になり、フランスの家族の如き一体感が優れました。臨機応変な戦術に長けたクロアチアは172cmの体を張ってピンチの芽を摘み、多彩なパスで味方のチャンスを膨らせてチームのために走り回って、大会の主役となったモドリッチ(32歳)がMVPに輝きました。日本が8強入りを阻まれたベルギーが1-0でイングランドに勝って3位。決勝リーグはどの試合も迫力満点、1ヵ月余テレビ観戦を楽しみました。今回はどのチームも組織力があり、個人技が勝負の決め手になりました。これからは臨機応変なチームワークとヘッデイングに強い背の高い選手や俊足で球際の強い個人技が重要になると感じました。
●7/17(火)午後、「入浴デイサービス」。施設の花壇の小玉スイカが4つ育ち、一番大きいスイカを職員に頼まれて切りました。早速職員が20名程のお爺さんお婆さん相手に「重さ当てゲーム」をし、1~5kgと答えはばらつきました。実際は1.75kg…私を含めて2kgの予想が多く、皆さん老いても重さ感覚は忘れていませんでした。足の骨折も完治し、毎日家でシャワーを浴び出し、8月からデイサービスを休止することに決めました。僅か2ヵ月半の利用でしたが、職員の皆様には大変お世話になり、感謝感激しています。
●7/19(木)午後、「香里園ブラ」は先ず空オケ(Akiko)、4人の先客で賑わっていました。3人の女性グループの1人(我子と同年代)が「パナの経理会社(天満)にパートで通っていますが、何時もOBらしき人が訪ねて来ます」と声を掛けられ、うっかり気持ちも緩んで昔話をしてしまいました…ビデオを作ったことや松下幸之助創業者の凄さなどを話すと、他の1方は「主人はフナイの経理マン。海外勤務体験もして今は2代目社長時代(創業者の息子)に仕え、経営不振で苦労しています」と内訳られて話が弾みました。もう1方は元空オケ店の経営者、どの方も歌上手で聞き惚れました。相方も上機嫌で焼酎ボトル1本余を空けました。
●7/21(土)夕刻、珍しく孫の塾が早く終わり、孫家族と夕食を共にし、久し振りにお酒好きなお父さんと冷酒で盃を交わしました。この日から孫は夏休みに入り、何時もの土日は朝から夜まで塾通いで、お父さんは付添で帰宅が遅くなり、爺さんは待ち切れず、17時頃から飲み始めます。お父さんの両親は佐賀と北九州の出身、未だに両家の大きな屋敷が空家で残っているそうです。6月に九州旅行をしたばかりで九州を話題に飲んでいると、NHKテレビの「関門トンネルの歴史」(1936年着工、1940年竣工)が放映され、当時世界初の海底トンネルを完成した日本の土木技術の万全さに感動しました。(H30.7.22)
 

H30年7月記:親友の故安永宏様を偲ぶ…何事にも熱血漢、素晴らしい人柄に魅せられました

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2018年 7月18日(水)23時44分24秒
  ●1960年松下電産同期入社の故安永宏様(6/24没、享年83歳)とは50年のお付合い、弱音や嫌味を吐かず・優しくて温厚・頼れる方でした。晩年の食事会では涙して喜び、定年後の囲碁やゴルフは好敵手。父親の満鉄勤務で幼少期を大連で過された故人と寝屋川人・私の「大連旅行」では、故人は昔の面影が残る街の姿に感動。現役時代は苦渋を分ち合い、定年後は楽しい思い出をいっぱい築きました。
●私は生研内でホームビデオの事業化を目指す「第3製造部」(1965)が発足した時に機械設計者として加わり、1年後「ビデオ事業部」に昇格した頃に故人は研究所から電気設計者として転勤。当時は機構設計課と電気設計課に分かれて「EIAJ統一1型ビデオ」の商品化に取組みました…ビデオはからくりで動く精密機械、未熟な量産設計で品質問題が多発、故人はベルトのサーボ性能向上で大苦闘。最初は「タイムラプスVTR」で一緒に仕事、長時間連続使用でベルトが頻繁に切れ、私は市場クレームに翻弄されました。
●機種別の組織に変り、故人は「3/4VCR」、私は「1/2カートリッジVTR」を担当。2モデル共機械の設計品質が確立できず、製造品質や市場クレームで苦労の連続。電気屋の故人が専門外の機械の問題で必死に苦悩する姿に居たたまれず、機械屋として自主的に応援、ローディング不良の渦中に飛込んで一緒に問題解決にあたりました。当時は毎日午前様、正月は元旦のみ休んで休日出勤も厭わず取組んだことは、息子さんも覚えておりました。私は東京の市場クレームに対処…週日は顧客宅回り、週末は倉庫在庫を修理。我担当の1/2カートリッジも日々問題を頻発し、2モデルの品質対策に追われ続けました。
●事業部組織が岡山(製造・販売部門のビデオ事業部)と門真(本社直轄のビデオ技術部)に2分された1975年、技術と製造との乖離を気遣い、毎月曜日に故人と私は夫々のマイカーで、8.00に岡山工場に到着、工場長(寝屋川人)と工技課長(守口人)と打合せ、台風が来ても実施。同じ年に私は1/2カートリッジの北米リワークで製造マン4名を引率して1ヵ月間ロスアンジェルス・シカゴ・ニューヨーク・トロントを訪問、気が遠くなる程の倉庫在庫(1万台強)を修理。故人は経営の大黒柱「3/4VCR」を続け、私は「VHSの量産立上」(NVプロジェクトリーダー)を担い、製造部門も任されて品質確保を徹底、岡山・西条の両工場の量産計画を予定通りに実現。
●ビデオ技術部時代は上司(後の副社長)から「仕事一筋では気分が滅入る」と言われ、暫し北新地やゴルフ練習場に誘われました。故人は下戸で酒は飲めず、ゴルフは好きになり、VHSが軌道に乗って多少の余裕ができ、お互いの職場で「部長杯」を作って休日ゴルフを楽しみ、若い人も大喜びでした。
●VHSでは私が開発技術部長、故人は欧州向けの商品技術部長を務め、お互いに世界普及に奔走して顔を合わすことは稀になりました。故人は欧州や南米の販社回り(商品会議など)に頻繁に出掛けました。私はVHSでは稲井社長(松下寿)の「北米OEM商談会」の新商品プレゼンテ-ターを務め、8ミリではフィリップス社(オランダ)との合弁会社設立準備やコダック社(アメリカ)との商品会議等で欧米に頻繁に出張しました。
●故人の「定年退職の感謝会」(太閤園)では会場いっぱいにお世話になった関係者が集い、私が代表挨拶をさせて頂きました。1年半後に私も定年退職して故人との交流が復活…先ず「囲碁の会」を発足、暫しの手合せでは温厚な故人の血気盛んな負けず嫌いが暫し露呈しました。先輩の囲碁仲間と3人で「伊勢囲碁会」(松珠荘)を開いた時に「ビデオOB会結成」の相談をし、早速各部門のキーマンに協力を求めて「準備会」を発足、守口人が事務局を務め、名簿作りに苦労しました。今も盛況に続いています。
●寝屋川人(当時専務)の優勝カップ寄贈で技術部門OBを中心にしたゴルフ同好会「イースト会」を故人・守口人・私の3人幹事で発足。10年程は盛況でしたが、メンバーの体力低下などで人数不足が続いて解散。
●仲良4人が定年後に夫婦交流を始め、ハワイや小浜に旅し、ジャズや落語を聞き、食事会など3-4年続け、ノルゥエーのオーロラ旅行(2004)で故人は体調を崩して不参加。その直後に腎臓と肝臓を患い、奥様が食事療法を徹底されましたが、9年前から週3日の透析が始まり、最近は疲れ易い状況でした。
●4人の「枚方昼食会」では透析前は食べ物が制限され、「ラーメンが食べたい」と漏らした声に同情、透析後は「汁物は制限されるが、何でも食べられる」と大喜び。この3年程は寝込みがち、近所の食事処の送迎サービスを受けて始めた「私市会」(故人を敬う後輩が加入)は昨9月会が最後になりました。(H30.7.12)
 

H30年7月前半記:OR会を楽しみ、W杯ベスト8を賭けて日本は大健闘、1週間の豪雨で災害続発

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2018年 7月10日(火)22時17分6秒
  ●7/2(月)正午、半年振りの「OR会」(松心会館)に14名が集いました。ビデオ事業創成期時代(オ-プンVTR)の80代の常連(9名)が軒並みに体調不良で欠席、幹事から「会長(93)は風呂で腰の骨を折って歩行困難」と報告があり、今回は寝屋川人(84)と私(82)のみになりました。参加者の年齢差は20歳弱、オープン時代からVHS時代に苦労して動き回った懐かしい昔話が幅広く語り合える年代層で大いに盛り上がりました。殆どのOBは定年後に仕事以上に情熱を傾けるものが無くなり、昔の回顧が益々恋しくなるばかり。私は定年後の10年間、「関西外大」の専任教授を精魂込めて務めましたが、ビデオやオーディオ事業を立ち上げる程の苦労は皆無でした。英語専門学校から短大・大学・大学院を創業し、「日本一の学生数を誇る外国語大学」(学生数は約13.000名)に育てた初代の理事長兼学長(故谷本貞人氏)は苦渋の連続だったと推測。生前に「松下幸之助氏と思想も行動もよく似ておられます」と話したことがありました。
●7/3早朝、W杯・ベルギー戦(3.00試合開始)は惨敗…前日は早く寝て1時過ぎに起きて観戦、後半原口選手と乾選手が立て続けに美しいゴールを決めて感動。「勝つかも」との期待を持たせた心地よい熱戦に日本全体が大満足。7/5に選手団は凱旋帰国、多くのファンが健闘を称えて空港で待ち受けました。7/6-8にフランス・ベルギー・イングランド・クロアチアの欧州勢がベスト4に進出、優勝候補の南米勢は全て敗退。
●7/3(火)午後、7月は週2から「週1の入浴デイサービス」に変更。「早朝のベルギー戦は残念」が職員との挨拶言葉、殆どが早く寝て目覚ましで起きたそうです。前回職員が小さなスイカに黒のビニールシートを被せたのに立合いましたが、「またカラスに食べられた」と報告を受けました。この日は「枚方懐メロ同好会」(10数名メンバー)が訪れて自慢の喉を披露、多数の昼食付利用者が集まり、空オケ合唱を楽しみました。私は職員に誘われて“百人一首のボーズ捲り”にお付合い、4名の利用者は興味津々で楽しそうでした。
●7/4(木)午前、半年振りの「関大医大循環器科」の定期検診、心電図と肺のレントゲン検査を受けました。「不整脈の状態は前回(1月検診)と変りなく安定、肺を覆う2層膜の中に水は溜まっていない」と診断、次回も半年後の検診を予約しました。3月に息切れが激しくなっての救急診察を受け「鉄分不足」と診断され、「消化器科で2ヵ月間治療を受けて息切れは完治しました」とお礼を言うと、「胃や大腸からの出血は無く、体質的な鉄分不足でした。小松菜・赤肉・肝などをしっかり食べてください」と指導を受けました。7/6(金)午後は「竹内歯科」に通院、左上奥歯3本の歯槽膿漏(6-7)は2週間では改善できずでした。
●7/6(土)午後の「VEOB」(祇園、ひろべ)は「西日本の豪雨」(台風7号が7/3に九州接近以降から7/8まで降り続いた)で急遽前日に中止。「嵐山の桂川や祇園四条の鴨川も水位が橋桁近くまで上昇して氾濫の危険」とテレビ放映され、新幹線や在来線も広範囲に運休、孫のお父さんは「サンダバード運休」で帰宅不可。枚方も大雨警報・避難勧告・土砂災害警戒が発令され、我家は小山を背にした住宅街、水はけはよく、被害に及ばず。近畿から始まった豪雨は中国・四国・岐阜に移り、山裾の住宅街が土砂崩れで埋まり(広島)、河川の氾濫で住宅街が浸水(倉敷)…共に同じ災害の繰返しでした。被害は日々拡大(7/10の報道ステーションで死者・行方不明者215名)、政府は非常災害対策本部を設置して「激甚災害」(財政支援)に指定。5年前に桂川が氾濫、観光客皆無の現場を下見すると商店街は床下浸水で泥だらけ、1週間後の同窓会の「保津川下り」では渡月橋の橋桁に流木が残るも商店街は修復、商人の逞しさに感銘しました。
●7/8(日)正午、足の骨折も治まった6月後半から家内は何時も通りに帰宅、香川の友人から戴いた「讃岐うどんと天麩羅」で昼食。夕刻先月永眠した親友の「思い出集」(5名の編集チームを結成)の原稿を募る「発起人原案」を作成。深夜気象庁は「全国大雨特別警報」を解除、しかし被害は増大しています。
●7/10(火)午後、「入浴デイサービス」。大学教員時代は約400名の学生の名前を直に覚えましたが、2ヵ月経ってやっと16名の職員の名前を覚え、親近感が増しました。ギターを趣味にペルー音楽バンドを組んでボランティアを続ける職員・長崎から聖徳園に就職して18年目の職員・転職して18年を迎えた職員・介護の短大を出て近くの実家から自転車で通う20代の職員など…20代から50代と年齢差のある男女16名の職員、「お客様第1」をモットーに仕事を平等に分担するチームワークのよさを感じます。(H30.7.10)
 

H30年6月後半記:W杯・日本は悲願の決勝進出、親友を見送り、エレガンスサロンに4ヵ月振りに参加

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2018年 7月 1日(日)10時52分2秒
  ●6/21(木)午後、空オケ喫茶「Akiko」に出向き、「M6特別会」(M6会+2名の香里園会)の貸切予約(8/30)と価格交渉をしました。前回知合った元日経のカメラマンなどの歌好きの常連5名が陣取り、歌の予約は常時満杯、暫くビールと焼酎を飲んでほろ酔いになり、現役時代によく歌った河島英五などを久し振りに熱唱。カウンターは8席と2つのテーブル席があって広々、名古屋からママの妹さんが応援に来ていました。
●6/24(日)、孫は終日塾通いで両親が同伴…午前は枚方の塾、午後は大阪市内の塾。合間に「爺さん主催の月例昼食会」、外食する時間を節約して寿司屋から出前を取りました。孫とお母さんは試験の話しに熱中、婆さんは孫と食事が出来て大喜び。来春の中学入試の追込み時期に入りました。
●夕方樟葉人から「私市人の訃報」を知らされて「誠に無念」…同期入社でビデオの創成期に苦渋を分ち合った友だけにショックを受け、淋しくなりました。酒を飲めない方が腎臓と肝臓を患い、治療が相反する食事療法を奥様は徹底。透析を始めて9年、「私市会」を結成して年2回の食事会を重ねました。この3ヵ月は寝た切り入院、1ヵ月前に私市会でお見舞したときには意識はしっかりしていましたが、しんどそうでした。早速数名のキーマンに電話連絡、孫が「ジィジィ、元気出してね」と檄を飛ばしてくれました。
●6/24深夜、W杯日本の第2戦「対セネガル戦」が始まりました。190㎝を超えたセネガル選手は俊敏な動きで日本を圧倒、早々にゴールを決めました。前日は夜通し「九州旅行記」を書いて睡眠不足、観戦途中に睡魔に襲われて寝てしまい、翌朝の再放送に釘付けになりました。戦術に慣れてきた日本は前半の終盤に乾選手の同点ゴールで追いつき、後半また1点を先行されましたが、交代した岡崎選手がGKの視界を遮り、同時交代した本田選手が同点ゴールを蹴り込んで引き分けにこぎつけ、決勝進出の期待が膨らんで日本全土が再び大フィバー。野球一辺倒の日本にもサッカーが人気スポーツになりましたが、経済効果ではフランス・スペイン・ドイツなどは1.300億円超え、日本は100億円未満で野球には遠く及ばずです。
●6/25(月)夕刻、「私市人のお通夜」(交野典礼会館)に出席。奥様にお悔やみのご挨拶をすると、「前日主人が昔のこと全て思い出した、明日死ぬ」と予告されたそうです。20年程前には4夫婦で国内外旅行や食べ歩いた仲間、「私市会」の2人は奥様同伴で出席、「家内を連れてこればよかった」と反省しました。仕事・ゴルフ・夫婦交流など…思い出はいっぱいの3人で故人を偲びました。参列者は平野衆議院議員(大阪11区選出)を含めて50名程、「長く病魔と闘いお疲れ様でした、ご冥福を祈ります」と合掌。
●6/26(火)午前、告別式(交野典礼会館)。甲子園人や米子人を始め、M6会のメンバーが勢揃い。故人と共に仕事した後輩など、前日から参列者は一部入れ替わり、約50名が参列。女高生のお孫さんが「私は理学療法士になって“お爺ちゃんを介護するよ”との約束が叶いませんでした。これまでお爺ちゃんと食事や散歩の普通の生活が私には生涯の思い出になりました。お爺ちゃん、大好き、ありがとう」と弔辞を述べ、参列者全員が貰い泣き。お花を棺に添えて最後のお別れの合掌をする時に数珠がないのに気付き、仲間が「花と一緒に入れたのでは!」と助言を受けて係に話すと花の中に埋もれておりました。ビデオに携わった同期入社5名の4名に先立たれ、仲間から「一人だよ、頑張れ」と励まされました。
●6/28(木)午前、「ほりのうち整形外科」(3回目)の診察、「新しい骨が骨折部を囲んでいるので、もう大丈夫。4週間後の再診で診療は終了」「ふくらはぎの痛みは何れ治る」と診断され、安堵しました。
●6/28深夜、W杯・ポーランド戦は1-0で惜敗し、フェアープレイポイントで決勝進出。GK川島選手の好守が光ったが終盤のボール回しの時間稼ぎで観客席からブーイング、西野監督は「これも日本の成長の1つ」と語る。海外メデアは「日本びいきの海外ファンは日本が嫌いになった」と酷評、国内は次戦を睨んで大興奮。
●6/29(金)午後、「入浴デイサービス」(6月6回目)。今日はどの職員ともサッカーの話で和気藹々。カラスに小さな西瓜と胡瓜を食べられと内訳られ、人参堀を手伝いましたが、皮を剥くのが大変な出来栄えでした。
●6/30(土)夕刻、「エレガンスサロン」(北新地、モナリザ)に10名が地震の被害もなく元気に集い、カウンター席は満席、椅子席に前回から新参加のさばけたご夫妻(60歳前半)が座り、暫し懇談。山口百恵並の済んだ美声に全員が魅了、ご主人も迫力満点のエンターティナー、賑やかに楽しく盛上った4時間でした。(H30.6.30)
 

H30年6月九州旅行記:2泊3日のM6会博多・呼子の旅を楽しみました

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2018年 6月25日(月)14時21分0秒
  ●6/4(月)午前、新大阪で「博多行き・のぞみ」に甲子園人・宝塚人・枚方公園人・交野人(世話役)・私の5名が乗車、岡山で「この1週間、鞄に何を入れようかと遠足気分でわくわくした」と吐露した米子人が加わりました。早速車内販売でビールを買い、世話役の準備した“するめ”をあてに旅初めの乾杯。世話役が2ヶ月ほど掛けて詳細にスケジュールを練り、ダイワグループのメンバー特典などをフルに活用した超格安費用で贅沢な旅が始まりました。壱岐島・唐津ロイヤルホテル・呼子の朝市・伊万里焼・柳川は5年程前に家内と旅しましたが、定年後の気心の通った男仲間の食べ歩きツアーは格別に楽しくリラックスできました。
●12時過ぎに博多に到着(所用時間約2時間半)、地下鉄と西鉄を乗り継いで柳川に着くなり(約50分)、早速駅前で「せいろむし」を賞味…柳川の鰻は皮が固いので、蒲焼後にせいろ蒸しにしたのが由、今は宮崎産の鰻を使っています。柔らかな蒲焼とたれをいっぱいまぶしたご飯がビールによく合いました。
●「柳川下り」(約70分)のどんこ船に乗り、船頭の道案内で江戸時代の掘割を回遊するお堀巡り。11の橋をくぐり、緑のしだれ柳や水路沿いの花菖蒲や紫陽花などを眺望、北原白秋記念館を覗きました。
●「ホテルニュウーオオタニ」にチエックイン後、ラウンジ「青珠」(3姉妹が経営)の次女に出迎えて貰い、店内いっぱいに「佐賀の酒」を飾った店に案内して貰いました。玄海の海鮮料理をあてに色んな銘柄の佐賀酒を飲みました。すっかり忘れていた中洲の店に案内され、新潟の銘酒「久保田」で乾杯して1升を空けました。「甲子園人」を迎え、3姉妹と長女家族(ご主人と2人のお子さん)が勢揃いして歓迎を受けました。
●「青珠」は中研の大先輩(故人)が九州芸工大教授に赴任して知合った3姉妹が開いた店。パナの役員としてグループ傘下の九松を行来していた甲子園人は3姉妹の相談に乗って「店の名付親」になり、長女夫婦の仲人をし、起業したご主人の仕事の相談役でした。私は教授に紹介され、九松に出向したビデオ仲間を訪ねてときに立寄り、定年後の大学教員時代(関西外大教授)は九松と取引する共栄会社役員の相談役(無給)になり、九松OBと暫しゴルフ交流して立寄り、3女のママとメル友の間柄。今回も3姉妹に「先生」と呼ばれ、懐かしさが込み上げました。甲子園人と私の望みを全員に賛同頂いて実現しました。
●翌6/5(火)は生憎雨、“マドンナ”(青珠のママ)を迎えて賑やか「唐津・呼子の旅」(約70分)になりました。高速バスの終点で貸切のジャンボタクシー(9人乗り)が待機、「唐津ロイヤルホテル」でコーヒー休憩して「呼子」に出発(約40分)。目指した「河太郎」は満員、急遽「イカ本家」に変更してヤリイカの姿造りを注文。半透明で甘くてコリコリの歯ごたえは絶品、ゲソを挟みで切った「踊り食い」は初めての体験、全員が呼子でしか味わえない「イカ刺し」に大満足。ここでしか食べられない養殖鯖(寄生虫は湧かず安全)も甘みがあって美味でした。
●帰路、「名護屋城博物館」(佐賀県立)に立寄りました。当時は視界が開け、五島列島から朝鮮半島まで眺望できたこの地に秀吉は城を築いて全国の大名の陣屋で囲い(城跡と陣屋跡は国の特別史跡)、出兵の基地として朝鮮攻め(1592-98の文禄・慶長の役)を繰返しました。当日は雨降りで眺望も悪く、城跡には登りませんでしたが、秀吉の権力の凄さと対比する家康の国治めのしたたかさを垣間見ました。人里離れた山間に建つ「日本列島と朝鮮半島の交流史」を主題にした立派な博物館に感動、「両国民が訪ねたら、国民感情が改善できる」と思いました。数組の中学の修学旅行生が訪れていました。
●色鮮やかな14台(赤と青獅子・鯛・武田信玄と上杉謙信の兜…)の曳山の保管庫「からつの曳山展示場」を見学。ユネスコ無形文化遺産「唐津くんち曳山」(やま)は唐津神社の秋季例大祭(毎年11/3-4)に法被姿の曳子らが鐘・笛・太鼓の曳山囃子で巡行して数万の観衆を魅了。ママと唐津駅で名残欲しく別れました。
●虹の松原に立地した「唐津ロイヤルホテル」で宿泊、夕食後空オケルームを3時間借り切り、交互に8曲ずつ熱唱。交野人と米子人は特訓してレパ-トリ-が倍増、枚方公園人と宝塚人は新曲を仕入れてきました。
●今回は食べて飲んでの旅でした。朝昼夜と酒に浸り、酒好き4名は大満足、全く飲めない米子人とビールを少々嗜む枚方公園人には申訳なかったです。空オケでは全員が存分に熱唱して歌い尽きました。翌6/6(水)は博多に戻り、阪急百貨店で土産を買い、お昼は餃子とビールで旅納めの乾杯。足を骨折して4週間が経ち、ビッコをひいて足手纏いになりながらお付合いでき、皆様に感謝しました。(H30.6.25)
 

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