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H31年5月前半記:令和がスタート、2組の訪問客を迎え、義弟が亡くなり、文集も大詰を迎えた

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2019年 5月16日(木)14時26分35秒
  ●5/1(水)、「令和元年」がスタート。10時半に「即位の儀式」が行われ、新天皇のお言葉が述べられました。前日は17時から平成天皇の国事行為の「退位礼正殿の儀」(皇居の宮殿・松の間)が放映され、阿部総理が国民代表の辞を述べ後に、陛下が最後のお言葉(平和を願い、国民に感謝)がありました。リアルタイムに皇居内の国事行事が放映され、平和な日本を感じました。上皇は私より2つ年上、体力と気力の衰える中、「よく頑張られた」と敬意を表します。新天皇は民間企業では定年の前年のお年ですが、我体験では60-70代はまだ元気盛りですので、日本の象徴としてのご活躍に期待します。5/4の一般参加では6回にわたり、全国から14万人がお祝いに駆付け、新天皇への期待の大きさを感じました。
●5/3(金)午前、孫のお友達(所沢)が帰りました。「場所も分かったから、また夏休みにいらっしゃい、関西はまだいっぱい素晴らしいところがあるよ!」と爺さんは別れの挨拶をしました。富山の魚津の保育園の同窓で、「爺ちゃん、覚えている!」と尋ねたら「知らない」と愛想なしでした。お友達は生誕から年中組まで幼児仲間、妹さんは赤ちゃんでした。4/30から母子3人が初めて我家を訪ね、3泊4日の関西の旅を楽しみました…初日は海遊館、2日目は道頓堀と大阪城、3日目は奈良公園と東大寺、4日目は清水寺などを散策、夜は爺さんも仲間に入って賑やかな3夜を過ごしました。
●5/5(日)正午、私の妹家族(妹・姪と息子の3名)が我夫婦を訪れました。「おじさんが落込むので黙っていたが、4/27(土)の朝に父(享年80歳)が入院先で亡くなり、本人の遺言で平成最後の翌日に家族葬を済ませた」と姪から報告を受けてびっくり。数日前に隣に住む弟から「見舞いに行ったが、意識朦朧で厳しい状態」と電話を受け、妹からは「本人の強い意志で見舞いも葬儀も家族だけで済ませるので、来ないで欲しい」と言われて様子見をしていました。プライドの高い義弟でしたので、「無様な姿は見せたくない」(亡くした長男も同じ心境)との思いが強かったと察しました。故人は糖尿予備軍で、自己流の大豆食オンリーの食事療法を続けて痩せ細り、日々車を運転して買物や通院していたので、家族は気付かなかったそうです。ある日突然にベッドから起き上がった時にこけて歩行困難になり、その後意識朦朧で寝た切りになって母娘はびっくり、早速通院先を尋ねると、「本人には入院をを勧めているが返事がない」と言われ、即入院して検査を受けると「末期の肺癌」と診断、僅か17日で鬼籍に入りました。身内が逝くのは寂しいい限りです。妹が広い家での一人住まいは淋しい、「兄さん時々来て欲しい」と頼まれ、早速姪と娘で、ベッドの準備などの相談を始めました。パソコンと自動車のない生活の長居は無理、墓参りを兼ね、2日程は行こうかと思いました。義弟の墓は新たに作るが、甥が「おじさん家の墓守をする」と言われて大変嬉しく思いました。昨年は一度も墓参りできず、気分だけ焦っておりました。甥は我長男を横浜からレンタカーで枚方まで運んで貰った間柄で、甥の脳裏に長男がこびり付いているようです。
●5/7(火)午前、「香里ケ丘有恵会病院」で肺癌検査の結果を聞きました。咳も痰も出なくなり、「痰や血液からは癌を疑う数値は出ていない、肺炎菌かもしれない」と診断。肺炎菌の抗生物質を2週間飲んで、再度CTスキャン検査をすることになりました。
●5/8(水)午後、家内が「ほりのうち整形外科」に通院、今月も15、22、29の週一の通院が続きます。
●5/9(木)午前、「VY会」(松心会館)に6名が集合。思い出集の編集原案(約170頁)は写真が少なく、寂しい仕上り。4頁のカラー写真を取決め、投稿者からの写真やイラスト用にモデル写真を集めることにして、読書欲をそそる編集に再挑戦。私も12枚の写真を探し、投稿者の一部に呼掛けしました。
●5/10(金)午後、日課の買物に3時間ほど掛かりました。肉・野菜・調味料・酒・総菜などは夫々に店を決め、5-6店回りました。最近は散歩を兼ね、3時間ほど掛けて3千歩をぶらぶらするが目標、総菜だけの時は1店で500歩ほどです。京都や大阪に外出すると、5-6千歩になり、結構疲れます。長らく散歩を止めたら歩くのが億劫になりましたが、今は毎日買物に出掛けて店内を歩き回り、買い過ぎて2-3日残すのがしばしばです。また最近は時間に拘束されず、ぼけっと過ごす日が多くなり、週の2日程は何も考えず・誰とも話せず・テレビを眺めていますが、これは80代の老いです。(2019.5.16)

 
 

H31年4月後半記:思い出記の原稿集も大詰め、よし春会・エレガンスサロン・いとこ会を楽しみました

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2019年 4月30日(火)23時06分23秒
  ●4/18(木)、定年退職後も現役を続けて多忙で書けない若手4名に限って原稿の締切を1ヵ月延長しました。ビデオの全盛期(1980年前後)に入社した人達らで衰退後の苦労話を期待しました。一人から原稿が届き、当時の仕事やメンバーが具体的に綴られており、ビデオから転籍した苦労話もあり、大変懐かしく読返しました。忙しい中での書直しの要請も大変だろうと気遣い、3頁を2頁の圧縮を本人に提案すると、「ありがとうございました、お任せします」の返事を受取りました。このようなケースは何度もあり、最初は2日がかりでしたが、最近は早朝の半日で仕上げます。書直しも編集作業をスムーズにこなす役割と悟り、ご本人のプライドを気遣いながら提案してきましたが、根気のいる作業でした。
●4/19(金)夕刻、「よし春会」(京橋、御馳走よし春)に6名が集いました。病気の話からスタート、交野人は珍しい血液の病気、宝塚人は白血球が増える病気、私は肺癌の検査中で話題が集中。次いでクラシック音楽の話題に移り、オーディオマニアの甲子園人は佐渡 裕の定期公演会員、私は京響の会員と意気投合しました。更には思い出集の出版・米中のAIと5G覇権争い・日本のデジタル発想の弱さなどを話題にして熱燗やハイボールを酌み交わして3時間超え、お客さんは殆ど帰ってしまいました。何を食べたかは殆ど記憶がなく、「こち」の刺身だけは「美味しかった」と思い出しました。元気で楽しい一時を過ごせることが何よりの幸せと感謝。翌日樟葉人から早速写真の送付を受け、お互いに爺さん顔になりました。
●4/21(日)、統一地方選挙の第2弾、市議選に出向きました。立候補者名簿に何時もの名前がなく、誰に入れようかなと思案しているとパナソニックの組合から、「候補者(番匠映仁氏)が替りました」と電話があり、「応援する」と檄を飛ばしました。これまではオーディオ出身の後輩が2代続きましたが、今回は松下電工出身者が立候補し、12位当選(定員34名)で議席を確保。全国的に注目を集める12区(寝屋川市・大東市・四条畷市)の衆議院補選は大阪維新の新人(藤田文武氏)が勝ちました。自民候補(北川晋平氏)は小泉進次郎氏・麻生副総理・安倍総理など、自民総出で応援に駆付けましたが、維新に屈しました。
●4/23(火)、ビデオ文集を製本の姿に編集した「最終原本」を事務局と編集担当と写真担当に引継ぎました。投稿者112名、原稿数159件、目次・思い出記(72件)・偲ぶ記(87件)・投稿者一覧(112名)・物故者一覧(46名)をまとめましたが、昨12月から投稿を受付けて5ヵ月経過、大変長い道のりでした。お蔭で多くの皆様と幾度とメール交換し、夜中や早朝から始める程に熱中させて頂きました。
●4/28(日)夕刻、異業種交流「エレガンスサロン」(北新地、モナリザ)に6名が集合、4ヵ月振りの参加になりました。川西人・和歌山人・芦屋人・寝屋川人・枚方人と私の6名が集いました。寝屋川人(画家)が熊野本本宮館で「熊野古道みちくさ記・原画展」(令和元年5月8~22日)を開催するとの案内があり、芦屋人から「研究ノベーション学会」での「松下幸之助の経営理念の講演」(元経営企画室長)の報告があり、また川西人と枚方人はコーラス仲間、よもやま話で盛上り、空オケも熱唱して3時間を超えて楽しく過ごしました。
●4/30(火)正午、京阪三条駅に3名が集い、「いとこ会」(がんこ三条店)を開催。お互いに体力が衰えて病気の話で盛上りました。酒量も少し落ちてきましたが、まだ平均以上に飲んで大丈夫と察しました。
●4/30、30年続いた平成(1989.1~2019.4)が終わります。私がビデオを離れてオーディオ事業の再建と研究所を立上、定年後の10年間(1997.4~2007.3)は関西外大で教鞭(専任教授)を執り、この12年間は全くの隠居生活。H元年に消費税3%がスタート、美空ひばりが亡くなり、ベルリンの壁崩壊、5年に細川連立内閣が誕生、6年に皇太子が結婚・関空が開港、7年に阪神淡路大震災・地下鉄サリン事件・ウィンドウズ95発売、9年に山一証券が経営破綻、13年にUSJ開業・米同時多発テレ事件、17年JR宝塚脱線事故・小泉首相が郵政解散、20年にリーマンショック、23年に東日本大震災と原発事故などが記憶に残りました。土地投機でバブル崩壊後は国も企業も停滞から脱出できず、金融機関は莫大な不良債権を抱え、終身雇用が崩れて非正規雇用が激増、ウィンドウズ95・i-Phone・スマートホフォンの普及で情報量が激増してコミュニケーションの形を一変、自然災害が頻発、製造業は中国に屈し、5G技術は米中に遠く及ばないほど世界は猛烈なスピードで変り続けています。平成は日本経済が沈没し、モノづくりの発想から脱皮が出来ずでした。先ず大手企業が創造力逞しい若者に日本の新しい生き方を託さねばと思います。(2019.4.30)

 

H31年4月中半記:私と周辺に病魔が襲って滅入り、ノートルダム大聖堂の火災を嘆きました

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2019年 4月19日(金)09時29分26秒
  ●4/12(金)午後、香里園の飲み仲間が歩行困難になり、救急車で生野病院の整形外科に入院、早速お見舞しました。数日前に階段で転んで頭を打ち、肋骨を2本折って関西医大病院に通院中でしたが、突然足が痺れて歩けなくなりましたが、整形の検査はすべて異常なしで、脳外の検査が必要になりましたが、退院しての外来受診になるそうです。夕刻妹に元気見舞の電話をすると、「旦那(義弟)が歩けなくなって入院した」との知らされました…糖尿病になりかけた本人は、医者の指示に従わずに自己流の食事療法で大豆料理ばかりを食べ続け、20Kg減量して栄養失調と体力不足に陥ったのが原因と診断。京都のいとこも肺癌の再発で精密検査が続き、名古屋のいとこは脳梗塞の再発で車椅子の生活が数年続き、年と共に周辺に病魔が近づいてきました。無意識にも気分が滅入りました。
●4/13(土)夕食後、孫のお友達が遊びにやってきました。気は強くて協調性がなくて友達もなく、いじめにあっている子で、両親が物凄く心配しています。孫とは親しくしており、娘が「これから寂しくなったら、おばちゃんとお爺さんが相手してあげるか、何時でも遊びに来なさいよ」と言ったので、「爺ちゃん、協力してよ」と言われました。新聞やテレビでいじめ報道が後を絶たず、自殺を誘発する深刻な問題、「いつでも協力するよ」と応えました。外見は明るくていじめに遭うような子でないように思いました。
●4/14(日)正午、家内が帰宅。爺さんがステーキとピザを焼き、家内は美味しそうに食べてくれました。爺さんは食欲がなく、ピザだけ食べ、ステーキは孫に譲りました。元気な家内は結構食欲もあり、ケーキや果物なども食べました。夕刻、家内を施設に、お父さんを枚方公園駅まで送りました。
●4/15(月)正午、ホームドクターの「磯谷クリニック」に通院。2-3日前から咳と痰が出ているので、風邪薬も処方して貰いました。午後から突然虚脱感に襲われて何もする気が無くなり、ベッドで寝てしまいました…滅多にないことで、娘が心配して叔母さん(妹)や京都のいとこに連絡した様で、早速激励の電話を受けました。夕食は外から取寄せていっしょに食べましたが、また直に床に就いて寝てしまい、翌朝は気分爽快になりました。風邪と疲れと精神的なプレッシャーが入混じったようでした。
●4/16(火)午前、娘が5か月前の肺炎入院したときの咳と同じだよと言われ、「香里ケ丘有恵会病院」に通院。CTスキャンの映像に癌に疑わしき薄い影があると診断、精密検査を続けることになり、2日間痰を収集しました。自身は肺炎と思っていましたが、治療に入らないので医師は癌を疑っているようです。
●4/16、前日高校同窓の一人から同窓会(名古屋在住者含めて10名)の催促を受け、「老人の集いだから1泊で計画しましょうか」と提案したら、「主人の世話をせねばならぬから、日帰りを希望」との声が多く、再度5月の第4-5週の都合を聞いたら、夫々が曜日で習い事などの用事があってまとまらずでした。忙しく過ごされていることは元気の証です。3度目の日程調整を土日で提案してみると意外に空いている様子。まだ全員から返事が届いていませんが、ミッシュラン3つ星の「菊乃井」に人気が集まりそうです。
●4/17(水)、先日の夕刊や今朝の朝刊で、「パリのノートルダム大聖堂が炎上し、尖塔と屋根が燃え落ちる甚大な被害が出た」「改修工事の足場から出火し、鎮火に8時間かかった」の報道にびっくり。パリーには仕事で3度、家内と1度行きました。ルーブル美術館と抱合せで2度訪ねましたが、広く聳える空間と天井までひき詰められたステンドガラス、厳粛さが印象に残ります。他には凱旋門・エフエル塔・ルーブル美術館・オルセー美術館・セーヌ川遊覧船も一通り観光しました。凱旋門近くのルイビトン本店で娘に所望されたハンドバックを買ったことやヘッドホンのデザインを依頼したデザイナ-に合鴨のステーキをご馳走になって、これぞ「フランス料理」と感激したこともありました。またモンマルトで自画像を書いて貰い、韓国大統領が訪日した日の成田空港での乗継で紛失してしまいました。昼間は薄暗い湿った雰囲気の街でしたが、夕方から垢抜けしたパリジェンが出没して艶やかな街に様替わり、ついカンカン踊り劇場(日本のラインダンスの如き)に入って鑑賞したこともありました。ノートルダム大聖堂は1163年に建築が始まり、1789年フランス革命で破壊と略奪に遭い、1804年ナポレオン1世の戴冠式が行われ、1831年ブクトル・ユーゴーの小説「ノートルダムのせむしの男」で一躍有名になり、ドゴールやミッテラン元大統領が死去の際にミサが営まれました。(2019.4.19)

 

H31年4月前半記:新元号が決まり、大阪地方選で維新が圧勝、M5会・VY会を楽しみました

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2019年 4月17日(水)07時17分34秒
  ●4/1(月)、新しい元号が菅義偉官房長官から発表されました。「令和」の語源は万葉集から出典したと報告があり、メディアによると一般市民は好意的に受入れたと報道され、急遽奈良時代(国の体制が固まって宮廷文化が定着)の日本現存最古の「万葉集」が脚光をあびました…7世紀の初めから8世紀にかけて130年間に詠われた4.500首の短歌・長歌を大伴家持(おおとものやかもち…大伴旅人大宰府長官の息子)が20冊に編集。主な歌人は柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)・額田王(ぬかたのおおきみ)・山上憶良(やまべのおくら)・山部赤人(やまべのあかひと)や天皇・皇后・皇族・貴族・官人・無名の防人(さきもり)などで、題材は儀式・恋愛・家族愛・死・風景・花鳥で、花ではハギに次いで梅が多く詠まれています。
●4/2(火)は「岡山花見会」(後楽園)を急遽欠席しました。娘が体調を崩してびっくり、心配で精密検査の結果を待ちましたが、更に新たな検査が必要になり、詳しい診断は持越しになりました。同居生活にも慣れ、若い世代と暮らす老人には物凄く安心感があり、崩れる怖さを感じました。
●4/3(水)午後、「ほりのうち整形外科」に今月も家内が週1回通院。午前は1時間ほどかかりましたが、午後にしたら30分ほどに短縮できました。医師に代わって看護師さんが注射を代行し、注射前後の血圧の降下と気分のと変化がチェックされます。
●4/4(木)午前、孫の大阪の中学高校一貫校の入学式に両親と参列。日本一になった吹奏楽団が国家と校歌を演奏、校長先生から「建学の精神…偉大なる平凡人たれ」の式辞があり、進学クラスの中学生300名余と高校生600名余が入学許可されました。全国制覇を目指す運動や音楽の専攻は別クラスで、教室も別棟。教室に入りきれない程の保護者が集い、熱血の担任先生から授業方針の説明を受け、「勉学は学校に任せてください」と挨拶され、今年は京大・阪大・神大の合格者数が約100名と実績に裏打ちされました。全員で昼食後、買い物などで別行動の爺さんはJR・京阪・バスを乗り継いで12.000歩の道のり。最近は長歩きしていないので、最後はバスのステップを上がれない程に疲れました。
●4/5(金)午後、「M5会」(祇園・ひろべ)の発足会。甲子園・高松・宝塚・樟葉・枚方から5名が集合、偶然にも甲子園人を除く4名は「ビデオの思い出集」の準備委員でした。ママの手料理をあてにビールで乾杯、原稿集めの苦労話などを披露して盛上りました。途中で花見帰りの京都市職員OBの3名が合流、我グループと同年代で直ぐ打ち解け、空オケ競演になりました。2-3日前にも京都市長ご一行が訪ねたそうで、お役所の憩の場です。満開の高瀬川の桜を花見しながら木屋町通りを散策、何処もツアー客で大賑わい。「居酒屋」(てんよし)で2次会、ビール・焼酎でサラダや筍・卵焼などの軽めのものを突きました。
●4/6(土)、因島の家内のお友達から段ボールいっぱいのデコポンが届きました。「最近は娘さんの喫茶店の手伝いや親の介護で果樹園まで手が回らずで出来が悪いです」と伝言が添えられましたが、大変甘みがあって美味しいデコポン、早々に家内と孫がご相伴に与りました。
●4/7(日)正午、家内が1週間振りに帰宅、爺さん手料理の肉じゃがとスパゲティを美味しく食べました。夕刻まで孫と話・テレビを見・コーヒ-やケーキを食べ、夕ご飯前に家内を施設に、お父さんを枚方公園駅まで送り、その足で投票場に出向きました。大阪府知事も府議員も元気な大阪維新に投票しましたが、圧倒的な勝利…知事選と市長選は圧勝し、府議会は過半数議席(51/88議席)、市議会は過半数まで2議席不足(40/83議席)を獲得。維新は都構想で苦労をしながら、府市が一致協力して多くの難問に挑戦して実績を積上げてきましたが、自民ほかは反対するだけで、政策にも活力がなく、惨敗に終わってしまいました。シビアーな大阪人の民意が他府県より一歩先んじているのかも知れません。
●4/8(月)午前、「VY編集会議」(門真・松心会館)に5名が集合。製本代の値段が最優先課題になりました。早朝に事務局に送った受付順原稿を編集順原稿に並べ替え、添付された写真を貼付けて、製本の姿にして最終見積もりをすることにしました。本代・ご遺族への贈呈数・パーティ参加費を決め、案内状を送付して参加者数と文集の注文数を募ることにしました。目標はご遺族も含めての参加者(投稿者112名、ご遺族ご招待数12名)を80名(参加率65%)、文集は150冊ほどを見込みます。(2019.4.17)

 

H31年3月後半記:100名を超える投稿に感謝、M6会と日本家屋の見学を楽しみました

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2019年 4月 1日(月)21時40分30秒
  ●3/15(金)、日々「思い出集」の原稿が舞込んでおりますが、この日は懐かしい3通が届きました。1つはパナソニックアプライアンス社の現役社長の若き経営企画室時代の投稿で、昔の秘話を披露でした。2つは94歳の大先輩から奥様が代筆された原稿は懐かしい松下幸之助創業者との「営業問答」でした。3つは定年間際に崖から転落して脊髄を損傷した後輩からの投稿が届きました。今も全身が麻痺しているが、障碍者免許で車を運転するバイタリティ旺盛な方で、現役時代の苦労話が綴られていました。
●3/17(日)、京響の定期演奏会の予定でしたが、「クラシックファンになつて欲しい」と願いを込めて、孫母にチケットを譲りました。爺さんは大学時代にクラシックが大好きになり、フェステバルホールの国際音楽祭に憧れて大阪に就職しました。独身時代はウィーンフィル・ベルリンフィル・ゲバントハウスコンセルトヘボーやシカゴ交響楽団などの世界的オーケストラやヨーロッパやロシアバレイなどを楽しみ、高額なチケット代も気にせずでした。30代になると仕事が多忙で、コンサートには出かられなくなりましたが、定年後は家内とコンサートによく出かけていました。そろそろクラシック(京響の年間会員)を卒業し、今年から京都の古刹の「屏風絵巡り」を楽しむことにしました。
●3/18(月)、孫の山之上小学校の卒業式に両親が出席。孫は帰宅すると、直ぐ先生との「謝恩会」に出かけました。卒業生は中学入学に備えてワクワクしていますが、先生は卒業式のセレモニーで学生と決別しないと次の学生を迎え入れられないそうです。孫は塾通いで忙しく過ごしてきましたので、卒業後は友人との交流を楽しんでいます。いじめにあっている友達の母娘が我母娘に相談に来られ、夜遅くまで深刻に話し込んでいました…本人は気が強くて妥協をしない性格で近寄る友達はゼロ、孫が時々二人で遊んで感謝されているようで、「中学で友達ができなかったら、下校時に我家に立寄れば、おばちゃんとお爺ちゃんが話相手になるよ」と話したそうです。「是非力になってあげたい」と思っています。
●3/23(土)、定年後大学院に通い、経営学博士を取得して大学教授を務めた先輩に投稿を依頼すると、「記憶力も気力もなくした」と断られ、一言二言メールに昔話を綴られて文章にまとめてあげると、次々と思い出されて1週間のやり取りで立派な「思い出記」が完成。「大脇様らのビデオ初期からのご苦労を知り、正確で格調の高い歴史遺産・文化遺産が生まれるなあと感じました」とお礼の言葉を頂きました。また元上司(80歳後半)は今も中小企業の経営相談に奔走し、体験談などをまとめた資料(約100頁)が届き、「参考にして欲しい」と言われ、早速関係部分を抜粋してA4版1枚にまとめました。また圧迫骨折で歩行困難になり、治療が捗らず、車いす生活の仲間から原稿が届きました。「俳句の会を開いて仲間が集って貰えるのが唯一の楽しみで、外出はままならず」と近況が綴られていました。100名以上の仲間とメールで話し、「老後人生は色々」を感じました。
●3/28(金)正午、「M6会」(旬采うちだ、2次会はラウンジ揚子)に6名が集合。米子人は5時過ぎに家を出て、高速バスで10時半に大阪に到着したと話し、4ヵ月振りに再会で盛上りました。昨年博多旅行の世話役をした交野人がその後3回博多を訪ねて下見し、今年の博多旅行計画を提案、7月に1泊2日で行うことに全員賛同しました。宗像神社詣でして昼食、博多でとり鍋を食べて青珠で空オケすることにしました。場所を移して歌好き6名が熱唱、ママが「皆さん、レパートリも広がってお上手!」とお褒めの言葉。
●3/30(土)、大連と横浜の単身赴任の現役後輩から「思い出記」の原稿が届きました。若い人の綴った具体的な苦労話に忘れていた歴史が蘇りました。忙しくて時間を延ばして欲しいと要望もあり、数人に1ヵ月延期しました。明日が締め切り日ですが、投稿者108名で投稿原稿152件、1週間遅れ3件、1ヵ月遅れ4件で期待以上の結果に感謝。これから編集作業と記念パーティ準備、多忙な日が続きます。
●3/31(日)午後、京都のいとこ宅を訪ね、孫に日本の家屋(伝統的の京風家屋、敷地150坪)を見学させて貰いました。宮大工が手を掛けた100年建築の大広間や茶室と修理に数百万かけた古い仏壇、日本庭園など、今では骨董品級です。早々にお酒を勧められて家内と居座ってしまい、孫家族は予定通りに清水寺・建仁寺を見学しました。来週東京から京都転勤になる長男夫婦が、早速家の建直しを計画中で、旧家の伝統の大広間と茶室は残すそうです。(2019.4.1)

 

H31年3月前半記:確定申告を済ませ、モナリザ会・VEOB会・K4会・NV会を楽しみました

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2019年 3月25日(月)21時40分32秒
  ●3/2(土)夕刻、「モナリザ会」(北新地、モナリザ)に4名が2ヶ月振りに集まりました。新入りのお一人とは初対面で、パナOBの産業機器関係の畑違いの方でしたが、直ぐに意気投合しました。ママの許しを得て、にぎり寿司・刺身・サンドイッチなどのつまみなどを分担して持寄りましたが、結構豪華な夕食になりました。イタリアツアー帰りの生駒人がワインを差し入れ、和気藹々に3時間ほど雑談と空オケで盛上りました。21時が過ぎると孫からひっきりなしに電話がかかり、2次会は失礼し、菓子パンを土産に買って帰りました。
●3/5(火)午前、家内の週1回の「ほりのうち整形外科」の通院。3/7(木)午後、家内の糖尿病治療で「香里ケ丘有恵会病院」に月例通院、最近はA1Cや腎臓と蛋白の数値も安定して薬治療は順調です。
●3/6(水)午後、枚方税務署に「確定申告」。終業間際に出向きましたので、行列もなく直ぐ受付け出来ました。2月初旬から準備を始め、今回は医療費控除額が約90万円と大幅に増えました。領収書の一部を紛失し、再度請求書を取り寄せました。昨年は夫婦で手足を骨折して通院が増え、家内の通院は43日・デイサービス週6日、私が通院34日・入院19日と病院通いが続きました。亡母は50代からパーキンソン病を患って点々と病院を通い直し、晩年の10年間は東香里病院で入院生活。当時は介護保険もなく、24時間の付添料(自腹)が日に1万円でしたので、毎年の医療費は控除限度額の200万円を遥かに超えていました。40年以上確定申告を行ってきましたが、税務署からは疑義は一切ありません。
●3/9(土)午後、「VEOB会」(祇園、ひろべ)に6名が3ヶ月振りに集合。私より20歳ほど若い世話役2人と私と演歌好きの八尾人の4名の常連に、美作の父親の介護を終えた樟葉人と久し振りのお一人加わりました。最近は70歳過ぎまで仕事する人が増え、60代中心の本会のメンバーは仕事・介護・お子さんの慶事などで多忙な身、毎回参加者は不確定です。ビール・ウィスキー・焼酎のあてにママの手料理を突きながら、夫々近況を話し合う放談会。空オケタイムでは北島三郎一辺倒の八尾人が珍しく美空ひばりを歌い、レパートリを増やしました。夫々に雰囲気の違う歌を熱唱して盛上りました。樟葉人は夜もOB会が重なった、早々に引き上げました。若手のOB会は元気で価値観も少し変り、物凄く刺激を受けます。
●3/11(月)午後、「K4会」 (香里園、美の里)にフルメンバー4名が3ヶ月振りに集合。お互いにトリッキングやラグビークラブ支援・能率協会役員や詩吟教室など多忙な日々を送る80代前の元気者で、話題に事欠かず昔話で意気投合です。お互いに4-5曲熱唱後、2次会は香里園人が母娘で開く居酒屋(時代屋)に案内、メニューも多い、家庭的雰囲気のある店でした。魚がまだ入荷していないと言われ、熱燗と揚げ物・焼き物・家庭料理などを注文、ほろ酔い気分で楽しい一時を過ごしました。
●3/12(火)正午、「NV会」(新阪急ホテル)に19名が1年振りに集いました。元社長や副社長が主役のOB会です。この1年間に3名の仲間が鬼籍に入り、先ず黙祷をしました。最初に会長の私から「今日は遠方から5名が馳せ参じて頂き、賑やかに会合になりました」「ビデオの思い出集は皆様のご協力で100名を超える懐かしい立派な文集が出来ます、11/2に出版記念パーティを計画します」とお礼と報告をしました。次いで元社長が「赤字経営に苦しんだビデオ事業部長時代の思い出」に触れ、副社長に事業計画を何度作り直しても赤字は絶対許さないと撤回され、最後は独断で「僅かな黒字計画を出して許された」と昔話を披露して乾杯。茅ヶ崎・松山・高松・福山・岡山などからの遠方参加者が近況報告して、和気藹々と昔話や病気の話で盛上りました。終宴前に中国通カメラマン(樟葉人)から「エール贈り」の申し出があり、声高らかに「フレー…フレー…NV会」に続いて元社長と副社長に全員でエールを贈りました。最後に元副社長(甲子園人)が中締めに立ち、「今ビデオの思い出集を編纂中の大脇さんに山下社長の思い出記を贈呈しますので、参考にしてください」「いつまでもこの会が続くことを願います」と挨拶。山下様の思い出集は100名程の投稿者でA4版300頁、私が計画中のビデオの思い出集も投稿者数が僅かに上回り、似た規模の文集になりそうで、大きな文字と短い文章で読み易く編集されていて、大いに参考になります。2次会はカウンター席に限りがあるスナック(常)に9名を誘い、空オケを熱唱し、楽しい一時を過ごしました。翌日樟葉人が早々にアルバムを編集して送信して貰い、何時もながらのお世話に感謝。(2019.3.25)

 

H31年2月後半記:好々爺2人と孫家族団欒・いとこ会・E杯を楽しみ、訃報が2件入りました

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2019年 2月28日(木)21時47分25秒
  ●2/14(木)、孫からバレンターイデーチヨコを貰い、びっくり。つい最近まで赤ちゃんでしたが、随分大きくなりました。孫親子を眺め、「親は全エネルギーを子育てに注ぎ、新たな人格を世に送り出す」「人生は世代交代の事業」と悟りました。我家は長男は早死に、次男は今も独身、悲しい子育てになりました。
●2/16(土)夕刻、孫の入試が終わって一息ついたところで、堺のお爺ちゃんをお迎えして「家族団欒」、お母さんの手料理と蟹鍋を賑やかに突きました。お酒大好きな好々爺2人は久し振りにビール・ワイン・お酒・焼酎のフルコース、私の大好きな清酒(立山)を持参いただき、早速孫の熱燗のお酌で「合格」の祝杯をあげ、楽しい宴になりました。堺のお爺ちゃんとは同い年、銀行マンと家電の技術屋と仕事の分野は違いましたが、お互に高度成長を乗り切った世代、似たような人生を送ってきただけに価値観が共用でき、共通の話題もいっぱいで話は尽きませんでした。堺のお婆ちゃんは100歳超えの祖祖母の介護で忙しく、ご一緒にお越し頂けませんでした。私は「毎日買物して3食とも自炊しています」と話すと、堺のお爺ちゃんは「畑仕事で野菜は自給自足、料理はお婆ちゃん任せ」と話し、「大脇さんはそれが生き甲斐になって、お元気ですよ」と激励して頂きました。
●2/17(日)、全員で朝食後、孫家族は堺のお爺ちゃんを引率して成田さんに初詣、私は婆ちゃんを迎えて手製の昼ご飯。堺のお爺ちゃんが戻ると家内は楽しげにご挨拶。お父さんは堺のお爺ちゃんを枚方市駅まで送り、健脚なお爺ちゃんは京阪・地下鉄・泉北高速・バスと乗り継いで2時間程の道のりを、ほどよい運動になると喜んでお帰りになりました。夕刻婆ちゃんとお父さんを施設と駅まで送りました。
●2/20(水)、このところ「思い出集」の原稿が届き、日々夜中から校正に大わらわ、暇なしです。
●2/21(金)、前夜他界された藤井克己様(享年85歳)の訃報が入り、夜の運転は避けて翌日の告別式(公益社千里会館)に参列しました。門真工場長やビデオシステム事業部長を歴任されましたが、仕事上の接触はあまりなく、私が定年後にお世話をしている「NV会」(元ビデオの幹部OB会)で親しくお付き合いしました。故人はつい最近まで家に後輩を呼んで麻雀をしたり、仲間とバンドを編成して楽器演奏を楽しんでおられましたが、この2年間は養護施設に入居し、最後は肺炎を患って亡くなりました。NV会や元門真工場の仲間30名程が参列し、最後のお別れをしました。私は同期入社の2人(元生研と電子楽器)と予期せぬ鉢合わせにびっくり、「電子楽器に入社した娘さんが近くに住み、行き来している藤井様と知り合って旅行仲間になった」と説明を受けて合点。奥様が喪主で、娘さんがお礼の挨拶をされました。
●2/23(土)午後、山科のいとこ宅での恒例の「新年会」、10年以上続いています。他界されたご主人の大学時代の遊び仲間4名が招かれ、総勢7名。従姉(京都のいとこの姉)とマドンナ(母娘)の絶品の手料理(昭和の家庭料理)は淡白で油気がなく、大変美味しく頂きました。酒好きの私に京都のいことが酒の用立を気遣って貰いました。私は大学時代に京都の古刹巡りが大好きで伯母さんを慕って京都通いし、同年のいとこの高校の同窓と親しくなり、夫々違った大学に通って以来60年ほどのお付合い。この1年間に夫々が何処かを患い、5時間ほど病気や昔話で盛上りました。家内は寒い日の外出を控えて欠席。孫家族が酔っ払い爺さんを気遣って、枚方市駅まで迎えに来てくれ、慌てて土産を買いました。
●2/24(日)午後、お隣のご主人が5日前に亡くなったのを初めて知り、総出で仏壇におまいりしました。10年程前に胃癌を全適されて食事が入らずで体重も40Kg程にやせ細り、1月ほど入退院して間がない急死でした。肺気腫で呼吸困難になり、家のベッドで安らかに永眠されました。母親同士は子育て時代を一緒にした大仲良し。ご主人は酒が飲めず、私とは立ち話程度のお付合い。奥様に幾度と訪ねて頂きましたが、いつも留守にしていました。同世代の昔のご近所さんが多く亡くなり、寂しくなりました。
●2/26正午、「E杯新年会」(北新地、穂の河)に9名が集合。老いても忙しい仲間が多く、4ヵ月先の次回日程を決めました。品数が多い特別昼会席料理を食べながらのフリードリンクの懇談、楽しい一時でした。今回は2次会の設定を省略しましたので、空オケ好きの一部は寂しく帰宅。米子から片道5時間かけて日帰りする下戸の友と2時間ほどコーヒーを飲んでお付合いをしました。(2019.2.28)

 

H31年2月前半記:M4会・VY会・カラオケ懇親会を楽しみ、思い出集の編纂をあくせくと続けます

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2019年 2月13日(水)06時14分46秒
  ●2/1(金)午前、家内の星ヶ丘医療センター(整形外科)に通院。「掌の骨折も新しい骨が出来、痛みもなく、順調に回復しているので、今日で治療終了にしましょう」と診断され、4ヶ月8回の通院でした。午後は「ほりのうち整形外科」に通院、「骨密度も僅かに上昇した、副作用のカルシュウム値や腎臓値の上昇もなく順調に治療できている」「当院では20-30名が注射治療をするが、全員女性」と診断されました。
●2/3(日)午後、家内が帰宅して孫に入学祝いを渡すと大喜び。当初は堺のお爺さんお婆さんもご招待して「お祝いの会」でもと色々思案しましたが、出しゃばったことは差し控えることにしました。娘夫妻は時間と出費を欲しまずに賭けました。私の時代はすべて家内任せで、お金は出しましたが、時間も口も出さず、子供の「自主性」を尊重し過ぎました。解放された孫は、2/8(金)から2泊3日で所沢の保育園時代の友人宅にお母さんと出かけ、東京を満喫して友達のお土産をいっぱい買って帰ってきました。
●2/4(月)夕刻、「M4会」(北新地・へちもんや)に4名が半年振りに集いました。会席料理を舌鼓しながら、積もった話で盛上りました。ビールオンリーの福山人を除く3人は「熱湯に浮かぶ熱燗」がお気に入り、1升以上を飲み干しました。2次会は甲子園人馴染みの母娘が切盛りするスナック(ウール)に出向き、ドンペリを勧められて4人で1本ボトムアップしましたが、シャンペン好きでない私には美味しくなく、何杯飲んだかも記憶していません。何時もより随分出費が重みましたが、これもお付き合いでした。
●2/5(火)正午、「VY会」(香里園、大幸)に8名が集い、「ビデオの思い出集」の準備について相談しました。①1月末期限の原稿集めは1月末に集中すると期待していましたが、「投稿者53名、投稿原稿80頁」で、期待外れでした.。発起人の私から「100名投稿を死守したい」と提案し、150名ほどの名簿を分担して督促することにしました。②製本の見積もりが来ましたが、1冊2.000円を超えましたので、最大1.500円内で印刷会社も含めて再検討。③文字を読み易く配列し、時代順に区分けする編集方針を決定。④写真の挿入方法の具体化。⑤会計担当の決定など、衆知を集めて議論しました。終了後有志で2次会(Akiko)に出向き、事務局と岡山人の3名で熱唱、他の5名は予定が重なって帰りました。
●2/7(木) から5日間、123名に「ビデオの思い出集」の原稿督促メールを出しました。一部から返信があり、「素晴らしい企画で是非書きます」「大脇さんから催促され、直に書いて届けます」「体調悪く、夏まで待って欲しい」「気力も記憶力も衰えて辞退する」「文章を書くのが苦手で書けない」などの返信があり、期待値とかけ離れました。老いと共に元気が無くなりつつある現実を垣間見て、びっくりしました。相手の気力を刺激して、「100名文集」を何としても必達したいと思います。
●2/9(土)夕刻、昨年「我人生80余年の体験談」の発表の場の段取りして頂いた方など、総員6名で「カラオケ懇親会」(Akiko)を行いました。若い時に五木ひろしと同じ年にデビューして歌手を志した自営業(食品加工)の方は流石プロ並みの歌唱力、「心がこもって・丁寧で・間の取り方が上手い」と合点しました。まだ現役(電気メーカー)で活躍するシニアは三波春夫の「俵星玄蕃」が十八番で、浪花節調の早い台詞を歌い切り、ブラボーでした。引き続いて3人目は同じ赤穂浪士の「松の刃傷」を歌い、この歌も台詞にパンチカがあって拍手喝采、2人の女性陣も綺麗な声で歌上手、私も気分よく随分歌いました。6人6様に選曲され、大変盛上りました。皆さんは私より一回りも二回り若いだけに、若々しく元気はっらつ、大いに刺激を受けました。「大脇さん、声もよく出て10歳は若く見えますよ」と言われ、ご機嫌でした。
●2/11(月)の新聞報道で、2/8に作家で堺屋太一さんが多臓器不全で亡くなり、83歳でした。通産官僚時の35歳の若さで大阪万博をプロデュースして一躍有名人になり、私より1歳先輩の同世代。昨年から津川雅彦さんや市原悦子さんなどの同い年の有名人・同期の桜・高校の同窓生・親友など、多くが亡くなり、80前後は寿命の分かれ目と察しました。若い人と接すると、「60-70代は元気モリモリだけど、80代に入ると急に体力・気力が衰え、自分の命はいつまで続くのかなぁと考える」と話すと、「大脇さんはまだ体力・気力も十分で若い、長生きしてくださいよ」と激励されます。認知症や癌にならないことが長生きの秘訣ですが、私は胃と大腸にポリーブがあり、「定期的に検査せねば」と決意しました。(2019.2.13)
 

H31年1月記:孫の受験で外出を自粛し、思い出集の寄稿原稿の編集に大わらわ

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2019年 2月 2日(土)13時00分48秒
  ●元旦(火)-3日、家内は帰宅して昼夜を家族団欒で過ごしました。孫は受験を目前に控え、ゆっくり休息する時間も欲しみ、2日から塾通いが始まりました。元旦の昼間に「山田神社」の初詣に全員で行く予定でしたが、ひと際寒いので爺さん婆さんは自粛。おせちや寿司・蟹鍋・焼肉などを食べ、家でテレビを見ながらの「のんびり3が日」でしたが、年賀状書きが続きました。
●「ジィジィ、1月は外出すると孫が心配して勉強に集中出来ないので、試験が終わるまで外出を控えて!」と両親から懇願され、殆どの新年会をキャンセルして家籠り…巴会関西支部会・松愛会枚方南支部会・モナリザ会・夜の京響コンサート・いとこ会を欠席するも、80通程の投稿原稿の編集に大わらわでした。
●1/4(金)午前、「ほりのうち整形外科」への家内の通院が始まり、1月は11・18・25と続き、1/10(木)は「香里ケ丘有恵会病院」に通院。1/4午後は「香里ケ丘有恵会病院」、1/7(月)午前は「磯谷クリニック」、1/10(木午前は「関西医大循環器内科」と私の通院も始まりました。昨年は夫婦で77日通院しました。
●何校かを予備受験後、1/19(土)-20(日)に本命校の「四天王寺中学」と「大阪桐蔭中学」の2校受験…共に合格し、どちらにするかを随分迷いましたが、両親や爺さんの思いとは反対に後者を選択。前者は女子高で医学部志望者が多く、自主学習が主体の学校。後者は学校が大学進学に物凄く力を入れて東大・京大・阪大他の有名校に多数の合格者を輩出、スポーツ・吹奏楽・進学の専門クラス分けして全分野に全国制覇を目指しているようです。早速宿題が出され、これからは宿題こなしで学力向上を目指します。カナダ留学もカリキュラムに入り、高2で全学科の履修を終え、高3は受験勉強に集中します。
●1/20(日)午後、「京響定期演奏会」(京都コンサートホール)に家内と出掛けました。演目はマルク・アンドレーエ指揮(スイス生れ、欧日で活躍)、ゲルハルト・オピッツ’(ドイツ生れの世界的ピアニスト、ウィーンフィル・N響などと共演、親日家)の独奏のブラームス(1831-1907)の「ピアノ協奏曲第1番ニ短調」(46分)とムソルグスキー(1831-1873)作曲、ラベル編曲の組曲「博覧会の絵」(35分)の2曲、満席でした。前者は繊細で華麗な曲で聴くほどに好きになれる曲、ピアニストは観客の大喝采に応えて4度舞台に立ちました。後者は若くして亡くなった友人の回顧展で深い感慨受けて作曲した一連のピアノ組曲を作曲家の死後にラベルが編曲、ロマンチックで楽しい曲でした。
●1/21(月)、年賀ハガキの抽選番号を調べ、60年経って初めて「2等」が当たりました。早速郵便局に行くと、2人の女子職員が当局で初めてです、「おめでとうございました」と最敬礼を受け、物凄くハッピーに感じました。「今年は7月に再抽選がありますので、お客様の運の良さを楽しみにしてください」と言われました。特等は海外旅行、1等は国内温泉旅行、2等はカタログから選べる郷土の特産品でした。
●1/24(木)午後、昨年11月の氷見温泉ツアーを行った「M7会」(新福島、廬)に6名が集合。旅行2日前に突然の肺炎入院で不参加になりましたが、私の快気祝を兼ねての開催でした。店主は60代初めの元松下マン、早期退職して「辻料理学校」で修業して夫婦で家庭料理を切盛りする割烹。甲子園人と私は初対面でしたが、中研でビデオヘッド開発に携わったメンバーだけに直に仲間意識が芽生えて打ち解けました。小じんまりとした雰囲気の中で、物腰柔らかなご夫妻との会話も楽しみました。気分よく、お酒が進んで4時間ほど飲み続け、5人が2次会(北新地、常)で空オケ。金沢人は少し早めに帰路につき、樟葉人と一緒に帰り、「大脇さん、足元がふらついていますよ。体に気を付けてください」と忠告を受けました。
●1/26(土)夕刻、孫の「合格祝い食事会」(T-saite)、1時間程地下のフードコーナーで缶ビールを飲みながら待機。自然食のバイキングレストランで日頃縁遠い野菜を沢山食べましたが、カレーが一番の好物でした。
●1/30(水)午後、「香里園ブラ」(Akiko)の新年会。ウイスキーのオンザロックをボトル半分ほど飲み干し、酔いました。隣席の長崎出身の86歳のおばあちゃん家族3名(お嫁さんと娘さん)と会話が弾みました。
●1/31(金)午後、雨降りの中で数年ぶりに天然温泉「水春」に行くと、駐車場は満杯。昨年8月に介護入浴サービス以来の「湯船漬かり」でした。最近は寒い中で暖房を付けながら、44度で15分ほどシャワーを浴びていますが、時々「温かい湯船に漬かりたいな」と思うことがあり、やっと実現しました。数年前はサウナなどを2時間程漬かりましたが、今回は1時間で上がってしまいました。(2019.2.2)

 

H30年12月後半記:フジ印刷訪問・E杯・よし春会・思い出集の編集…、慌しく大晦日を迎えました

 投稿者:大脇禎弌  投稿日:2018年12月31日(月)23時58分5秒
  ●12/17(月)夕刻、「フジ印刷」(取説制作会社)を「思い出集」の印刷依頼に世話役2人と訪ねました。後輩が社長を務め、パナのOBとOGの2人が支えます。嘗ては「パナの共栄会社」もパナの工場の海外移転で注文が激減。社長就任と同時にリストラを断行(約250名から半減)、「古手社員の早期退職で若返ったが、カルチャーの違いで思いが浸透せず、苦労した」と内訳ました。「過去を顧みず、売上が全てで雇用を守るのが役目」との使命感に燃え、当時のパナの技術者から大変身でした。取説作成で養ったノウハウをベンチャーの玩具メーカー(ツミキ類)の取説を一手に引受ける提案型の取組みは、「創造力が求められる仕事で若い人が育つ」と感銘しました。しかしまだ序の口だそうで、パナの海外工場に出張所を設けて、取説データの請負仕事が売上の8割を占めます。私は現役時代から、会長・社長・役員と交わり、相談やサゼッションをしてきましたが、当時の姿は一変して新たな会社に脱皮しつつある姿にエールを贈りました。打合せ後、懇親の場を設けて頂き、6名で鍋を楽しく突きました。社長が「大脇さんと暫し海外出張に同行した時はワインを飲んでおられましたが、今は酒ですか」と言われ、家までタクシーで送って貰いました。
●12/19(水)正午、「E杯世話役会」(サンゼリア香里園店)に3名が4ヵ月振りに集合、次回の懇親会開催の相談をしました。2月後半に前回と同じ食事処(穂の河)で開催することにして、主だったメンバーの都合を事前調整することにしました。2人とも他のOBとの接触が少なく、私との交わりが会食空オケの稀な機会の様で2時間程楽しく熱唱(美の里)。現役時代は同じ釜の飯を食べて苦労した仲間に憩いの場を提供するのが「先輩の務め」と悟り、多くのOB会を守して「参加者の笑顔」に世話役冥利を感じます。
●12/21(金)夕刻、「よし春会」(御馳走よし春)に5ヵ月振りに8名が集合。私の入院話やパナの現況などで盛上りました。「大脇さん、ふっくらしたよ」と甲子園人に言われてびっくり、「食事量は病院食程度だが、酒量がカロリーオーバーしている」と言い訳。肺炎に罹って、「通院で治した」「1週間程入院した」と打ち分ける人がおり、3週間入院は長いようでした。他愛ない話が延々と続き、楽しい一時を過ごしました。
●12/22(土)、「物故者を偲びつつ、皆で語るビデオの思い出」の投稿も20通ほどになりました。毎夜原稿を読み、タイトルや分かり難い文章の修正や字体の統一、A4版1枚への圧縮などを続けておりますが、2日程かかる場合もあります。修正原稿を翌日、投稿者に転送して了解を取ると、「分かり易くなった」と感謝の返礼が来ます…文章を圧縮すると、余分な表現が取れて簡潔になり、読み易くなりました。
●12/23(日)、大学のクラス会「巴楊会・卒業60周年会」(入学48名)の問合せが来ました…「2年先は体力的に待てないので、来年にして欲しい」との意見が多く、参加の可否・希望時期・希望場所のアンケート。関西支部会は昨年終了、名古屋での本部会は来年の60周年会で打ち止めにしたいとのこと。鬼籍に入った人(13名)・音信不通(8名)・歩行困難な人(9名)を除くと「健常者は18名」…参加の返事をしました。
●12/24(月)朝、年賀状をセブンイレブンで購入して終日年賀状書きに集中。「明けましておめでとうございます…病院通いしながら、夫婦楽しく暮らしています」と挨拶状を印刷、宛名は自筆で書く習慣を継続。滅多に会うことのない人を懐かしみ、体調を案じながら150通ほどを書上げ、枚方郵便局に投函。富山に出向く義息を枚方市駅まで送りながら、本年も元旦着の日程(12/25締)を厳守してホットしました。
●12/26(水)午後、自動車の半年点検に出向きました。2ヶ月ほど前から催促され、入院などで遅れ遅れの入庫。6年目で走行距離は約3万km(14km/日) で来年末に車検、営業マンから新車の売込みも、「後何年運転できるか」を迷うところ。週末は義息も利用するので無いと不便、「白内障手術で運転には不安がないが、90歳まで運転できれば、替え時かな!」と思うも、90まで運転した先輩はいません。
●12/27(木)-28の2日間、家内は通院を終えて久し振りの帰宅。前日肉や野菜を買込み、爺さんの手料理を賞味。「新しい掌の骨が出来つつあり、サポーターは後1ヶ月程必要」との診断(星ヶ丘医療センター)。
●12/29(土)-30は正月3ヶ日の買物。孫家族の正月は受験の最中で、おせちは作らないと宣言。3ヶ日は孫家族と昼夜食事を共にするので、家内と肉・蟹・おせち・飲物・野菜などを補填買いしました。
●12/31(日)、今年最後の買物後はPCと睨めっこ、本年も多くのメール交信をしました。紅白で空オケ用新曲2曲をリストアップ、新年を迎えます。H30年も何とか元気に暮して、「感謝!感謝!」です。(H30.12.31)
 

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