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発表についてのいろいろ

 投稿者:窪田  投稿日:2016年 4月 7日(木)23時09分34秒
  本当は3月中に更新したかったんですが、なんだかんだしているうちに4月になってしまいました。もう新学期ですね、今年度も頑張って行きましょう。

はい、というわけで遅くなりましたが、フロアシートのコメントに対することだったり自分の言いたいことだったりを書いていこうと思います。

まず発表について、たいそう早口だったという先生からのお言葉がありましたが、あれはあの日スタートしたのがだいぶ遅くて時間が押していたから、なるべく早く終わらせなければという意識の下、ああなってしまったという言い訳だけさせてください。

Twitterの画面が見にくいだとか、アカウントを変えるのが分かりにくいだとかの意見が多々ありました。自分としてもそこに関しては反省点だと思っていて、実際にTwitterの撮影を始めると、時計とか予測変換とか、いろいろカット割りの段階では考えていなかった問題が出てきました。結果的に自分の思うような画にできず、見る人からしても分かりづらくなってしまったと思います。また、意見としては「Twitterをやっていない人には伝わりづらい」というものも多かったです。これもある程度はそうだろうとは思うのですが、映し方次第ではカバーできる問題だった(Twitterやっていなくてもわかる)と考えています。一番は、鍵アカウントと普通のアカウントの切り替えによる美禰子の建前と本音の違いを、映像として見やすい画に出来ていたら良かったんだと思います。ストーリーの中で大事な部分が見づらかったから結果よく分からないってなったのだろうと。その点に関してはコメントでこうしてみたらどうかという意見があってなるほどなあと思いました。
そんなわけでTwitterを使うことに関しては問題はないと思っていて、ツイートはモノローグなのでは?という意見(文句)もありましたが、謎の人物を登場させてその人に自分の抱えていることを話したり、本当にそんなに仲がいいのかっていう兄に悩みを話したりしてモノローグの表現を避けるより、誰にもフォローされていないTwitterで日々のうらみつらみや本心をひっそりとツイートしている方がよっぽど現実的で現代的なことだと思います。私たちが心の中で独り言を言っている場面をカメラで撮ったとしても言葉は聞こえてきませんが、心の中の独り言をツイートしている場面をカメラで撮ったらその言葉を見ることができます。映画のモノローグは聞こえるはずのない言葉が聞こえるけれど、ツイートは見えるものです。そういった意味で、ツイートすることはモノローグと同じというのは考えとして浅い気がします、私は。そもそもモノローグだ!って言うのは先生であり、ゼミ生に言われたところで、だからなんですか?と言いたい。「モノローグだから良くない」と言うのであれば色々な映画に対しても文句を言ってください。
しかし、気持ちを文字だけで表すのは確かに映像としては軽い感じになってしまっていたので、気持ちの重さの表現はどうにかうまいことやれたらよかったなあと思います。

解釈については、曖昧な部分が多くて、なんとも言えませんが(本質を見失ってる気がしないこともない)、とりあえずコメントに返答をしていきます。

三ちゃん呼びについて
「表で小川さんと呼び、裏で三ちゃんと呼ぶのは美禰子のどういう気持ちからなのか」:議論の時には美禰子の裏側の感じ、支配している感じを出したいとか言ったのですが、違う呼び方だったら表と裏の差別化もできていいんじゃないか、なんかかわいいし、というわりと安易な気持ちで呼び方変えたので、三ちゃんであることにあまり深い意味はありません。表ではあまり見せないけれど心の中で親しみを感じていた、とかいう理由をつければ、親しみのある呼び方、三ちゃんでも許されるんでしょうか。(根拠なし)

よし子について
「兄を奪ってしまう恐れのある美禰子が嫌いだが、それだけなのか(ただの性格の悪い女になっている)」「なぜ怒っているのか」:兄を奪ってしまう恐れのある美禰子が嫌い、と言っても、この段階ではもうその勝負には決着がついています。(修羅場の件については省略) よし子は、PP303~305のお見舞いの様子からみると、あえて美禰子の名前を出して三四郎の反応を楽しんでいるように取れました。勝者の余裕というか。そのよし子が家に訪ねてきた三四郎に対して、「兄さん?」と聞くのは嫌がらせ以外にありえるのかと考えましたが、なかなか浮かびませんでした。映画の中でこのシーンは、最初は普通に挨拶するけれど、三四郎が里見さん(美禰子)はどこにいるかを聞いてきて、まだこの男は美禰子にいろいろあるのかっていう三四郎への嫌悪感、単純にそこまで1人の男に好かれる美禰子への嫉妬心、などが溢れた結果、不機嫌になり、「兄さん?」という嫌がらせをしたり、怒ったような感じで去っていくよし子ちゃんになりました。ちょっと極端にした方がわかりやすいかなと思ってデフォルメをかけたというのもあります。まあ実際にこの場面ではただの嫌な女であることに間違いはないとおもうのですが、どうなんでしょう。
「三四郎は女性と距離を取りたがる性格だが、よし子ちゃんと呼ぶのはなぜか」:三四郎のよし子に対する見方はP120「その感じは、どうしても異性に近づいて得られる感じではなかった。」とあるように、よし子を異性として強く意識していません。それをちゃん付けで呼ばせることで表現しました。あと、シンプルにその方が好みだったので。

美禰子について
「美禰子の三四郎に対しての思いが好意ではなく特別な思いなのはなぜか」「特別な思いとはなにか」:当時、女性は軽視される風潮がありました。野々宮も紳士も兄の知り合いであり、美禰子の関係はほとんどが兄からのつながりであると考えられます。三四郎と美禰子の関係は美禰子の行動(p33 花落とすやつ)から始まっています。そういうことが今までの美禰子にはなかったのではないでしょうか。また三四郎は美禰子の兄と直接会ったことはなく、「恭助の妹」と意識して美禰子と接していたことはなかったと考えられます。そのように今までにない出会い方をして、自分を自分として見てくれる男性である三四郎を特別な存在として見る可能性は高いでしょう。好意ではないのかというと微妙なところですが、結果的に結婚しなかった(できなかった)ということを考えると、その段階で好意まで行くことはなかったのかなあと思います。あるいは三四郎を選ばなかったのは美禰子としてのけじめ的な面もあるのかなあとか、もう少しタイミングが早ければ可能性もあったのかもとか、兄の結婚の話がなかったらとか、想像はできますけど、そこまで示せる根拠は見つけられませんでした。議論もしくはレジュメでは好意ではない特別な感情と言いましたが、特別な思いは好意と完全に別の感情というわけでもないのかもしれません。

タイトル・曲について
「めっちゃ引きずってる感じだけど、美禰子は本当にgoodbyeなのか」:別れのきっかけにも、自分から、相手から、第三者(的要因)から、などいろいろ。この場合別れは美禰子が望んでおこしたものではありませんし、まあ引きずりますよね。
「さよなら~で始まる曲は三四郎の心情からしたらさっぱりしすぎてる」:この曲は、はじまりこそさよなら~ですが歌われているのは、好きな女の子を忘れて(諦めて)前に進まなければと思っている男の気持ちと、忘れられないでも忘れなくちゃいけないという過程の辛さ。全然さっぱりした曲じゃないんです。むしろこってりした感じの曲なので、心情的にさっぱりしすぎてるということはないかと。さらにただのEDとしてではなく三四郎くん自身にも歌わせることで、美禰子のことを忘れようとする(けど忘れられない)気持ちを歌に乗せることで表現できたらなあと思いました。

その他
「ヘリオトロープは香りだけなのか、行動の意味はなにか」:ハンカチをスッてやるあれも香水かがせるためと、手を伸ばしつつも触れることはできない距離感が美禰子の最後のアプローチだったのではないかと。
「『結婚なんて誰としても同じ』というセリフがあるが、美禰子の説明の所の『野々宮と結婚するため』と矛盾するのではないか」:「結婚なんて誰としても同じ」というセリフは美禰子の強がりで言ったセリフのつもりです。野々宮と結婚するため、という気持ちはあっただろうと思います。
「Twitterを使った根拠」:せっかくだからとことん現代風にしたかったので。根拠とかはとくにはありません。そう、現代風。
「恭助は唯一血のつながった兄妹なのだからもう少し美禰子のことを考えているのではないか」:それもそうなのですが、美禰子のことを思って言ったであろう p187「どこか好い口はないだろうか。里見にも頼まれているんだが」という話が、最終的に美禰子の紳士との結婚を決めてしまったのが物語の現実です。もし美禰子のことを本当に考えているのであれば、兄から野々宮への(妹と結婚をさせるための)言葉がもっとあってもいいし、紳士と結婚させなくてもよかったと思います。そういう部分から、自分の考えだけで突っ走ってしまうお兄さんにしてみました。
「母から来たメールを閉じてイヤホンをして自分の世界に入り込んでいくのは原作のどの点の解釈を反映させた結果なのか」:原作では、いつ立つ という母からの電報が届いているところで章がおわります。映画化にあたりメール来て終わりってなるのはなあと思って、メールに返信をしないで自分の世界に…という感じにしました。解釈でどこというのはありませんが、美禰子との思い出、その日の別れ、ヘリオトロープの意味、そういうものを三四郎は考えているという雰囲気の映像にしたかったのでああしました。


コメントに対して書いていきましたが、やっぱり根拠が十分ではないものが多くて、それが映像の中でもふわっとしてしまったのかなという反省です。でも現代チックさを全面に出していけたのは、自分としては満足しています。
遠い昔の話でなんなら当時より解釈レベルも下がってんじゃないかって感じです。まあこれを見て思うところはたくさんあると思いますが、とりあえず自分の発表についてのいろいろってことで頑張りました。


めちゃくちゃ長くなりましたが、発表について意見、質問ありがとうございました。
「ここで会えればそれでいいんですの世界」に関しても、沢山の方の撮影協力、感謝しています。(知らない人は窪田のDVDをぜひ)

それでは、4年時も頑張っていきましょう。頑張っていきます。
 
 

加藤の発表について

 投稿者:加藤  投稿日:2016年 2月22日(月)23時56分33秒
  ケータイのメモ機能にずっと残しっぱだったこれを放ちたいなぁと思いおそばせながら投稿します。

映像の反省
カット割りの数を描くのと撮るのがめんどくさいから減らしまくった結果淡々としてしまい、映画というより再現VTRみたいになってしまったなぁと後悔しました。あと、声のペースが口パクと違い、無理にねじこんだのでズレたところが気になるのも反省しました。


担当箇所の与次郎の心理・考え(わたしの解釈)
与次郎は三四郎にお金を借りていたのを返せないでいるので、美禰子がお金を貸してくれたということは、三四郎がお金がないという状態は一先ずなくなり、与次郎にとって(三四郎がお金がない状態を罪悪感が高いとすると)三四郎への罪悪感が薄れます。
三四郎が美禰子に対しお金というつながりが継続するのは、お金の面に関しては都合がよいからわたしの担当箇所では美禰子とのことを最初煽っていたと考えます。
しかし、友人としては三四郎が美禰子を好きなのは運動会の前でとめてもとまらなかったし、本気でないのであれば田舎から出てきた三四郎的にはよい経験になるのではないかと思ったので煽っていた。(p230「君は厭でも、向うでは喜ぶよ」)しかし、三四郎が野々宮と美禰子の関係を知らないで、叶わない本気の恋をしているとわかると(p231「野々宮さんと、あの人とは何か今までに関係があるのか」三四郎の顔は彫りつけたように真面目であった。)もしかしたら、失恋のせいで三四郎が死ぬまではいかないとしても自暴自棄になって再起不能になってしまうのではないかということで、野々宮と美禰子の関係をこのシーンでは教えず話を逸らしたのではないかと考えました。
→なので、与次郎は三四郎にあぶない女をわざわざ叩きつけたのではないと思います。(服部さんの質問について)



質疑応答
最後ぴょんぴょんした意図は?
→近藤くんのアドリブですが、元気のいい感じが与次郎っぽいかなと思い採用しました。

教室から出るときに与次郎がドアを開けて三四郎を通していたが与次郎の性格にしては優しすぎるのでは?
→人間として自分が先に歩いていてドアが目の前にあれば、ドアを開けて友人を通すと思いそうしました。

クライマックスはどこですか?
→「野々宮さんと美禰子さんは付き合っていたとか…何か今までに関係があるのか?」「……知らん。」このやりとりをクライマックスにしました。間と音を消す等でクライマックスっぽくしようとしたのですが、もっと効果をつけてわかりやすくクライマックスっぽくすればよかったなぁと思いました。


三四郎と与次郎の身体的距離感に違和感を持ちました。
→本文p231L2の与次郎がまた、耳の傍へ口を持って来た。と記述があったのであの距離感になりました。決してわたしの趣味とかではありません。

与次郎にとっての三四郎の立ち位置が広田を通したグループかは個人的な交友関係までに発展する経緯がわかるとわかりやすかった。
→貴重なご意見ありがとうございます。初めて見る人がわかるようにする映画にするのであれば、そこまで描く必要ばないと思ったのと、それを描くとわたしのテーマにしていた与次郎の恋愛観ではなく、与次郎と三四郎の友情がメインになってしまいテーマがぶれてしまうと思い省かせていただきました。


与次郎が主人公で一貫していたのに 三四郎の丹青会の回想をはさんだのはなぜ?
→先生と相談し、三四郎と与次郎の考えやテンションのズレを表現するためにいれました。


三四郎はみねこにそこまでぐいぐい積極的になっているのか?与次郎から見てそう見える根拠は?具体的に示してほしい
→与次郎からみてそう見える根拠としては、p231の「あの女は君に惚れているのか」に対して「よく分からない」と答えたところかなぁと思います。普通自信がなければ「そうじゃないと思う」などマイナスな発言をすると思います。「よく分からない」ということは見込みがあるかもしれないと少なからず思っている。その返答から積極的になっていると与次郎は思ったんじゃないかなぁと思います。


わたしの回はやたらと与次郎が美禰子と野々宮が付き合っていたとわかる具体的な根拠は?みたいなのがコメントシートに書かれていたのですが、逆にみんなは美禰子と野々宮が付き合ってた描写わかるのか?みんな先生から聞いて知っただろといいたいですがその辺はどうでしょうね……。

以上、長々失礼しました。
 

金丸さんの発表について

 投稿者:窪田  投稿日:2016年 2月 8日(月)03時43分50秒
編集済
  はい、たいへん遅くなりましたがコメンテーターのやつ書いていきます。

この日は発表が1人ということで時間がたっぷりあったので、途中先生のお言葉もあったりなんかして、議論が活発になったというか内容盛りだくさんでしたね。
金丸さんの発表は、先生も書かれていたように聞き取りやすい声量とスピードだったと思います。(コメンテーターは隣にいるから声量がどうかとかはあんまりよく分かりませんが)

三四郎が美禰子にお金を借りに来た場面ということで、議論では、まず美禰子のお金に対する思いについてポイントが置かれていました。
お金を貸すことが美禰子にとってどういう意味を持っていたのか、それは金丸さんの担当箇所、また物語全体において重要な点だと思うので、岡部さんと浅野さんの質問によって、発表者、フロアともに改めて考える機会になったのではないでしょうか。

また後半には女性観という議題が出てきました。三四郎の美禰子に対する見方と美禰子に対する恋愛感情の関わりについての加藤さんの意見はとても興味深いものでした。恋愛に走ることが三四郎の女性観とズレを……(みんなが見る所で変なこと書いても恥ずかしいので以下省略)

正直時間が経ちすぎてかなり曖昧ですが、こんな感じで終わりたいと思います。金丸さん発表お疲れさまでした。
自分のやつもそのうち書きます。
 

近藤くんの発表について

 投稿者:加藤  投稿日:2016年 1月 8日(金)12時53分18秒
  遅くなりましたが、近藤くん発表おつかれさまでした!!!

映像については、絵、絵はがき、映像の加工の処理(回想で色が減っているところ)など、こだわりが溢れていて、みていて楽しかったです。
特にオリジナルでいれていたビリビリに絵はがきを破るシーンや、よし子が画面を黒く塗りつぶすシーンは近藤くんならではのセンスが光っていてステキでした。

議論については、レジュメを忘れてきてしまうハプニングもありましたが、やりこんだ解釈についての質問はしっかり近藤くんなりに答えていました。が、タイトルについては、絵を扱うシーンなので視覚的なものでなく、彩声(だみごえ)と聴覚的なものだったことに関するものだったというのがわたしも気になっていたところだったので、深く聞いていた服部さんさすがだなぁと思いました。

コメンテーターとしては、いまいち何をするものなのか探り探りになってしまってただのタイムキーパーになってしまったと記憶しています……… 深い話し合いができるように場の流れを作ればよかったらなぁと反省しております。
 

富島の発表について

 投稿者:富島  投稿日:2015年12月28日(月)16時44分14秒
  遅くなりましたが、富島の発表について、主に質問に答えていこうと思います。

Qよし子の解釈を入れなかったのは何故か?
Aここでは三四郎と美禰子の再会、それぞれの思い、リボンに関する二人の思惑に主軸を置いたので、よし子の解釈まで入れてしまうと、時間的にも、また主軸もぶれるのではないかと判断し入れませんでした。しかし、確かによし子も重要な人物であるため、少しは入れておくべきかと思いました。

Q野々宮の妹=池の女と決めつけているなら「あの池の人だといいな」は矛盾ではないか?
AP64L17で「戸を開けて顔が見たくもあるし、見て失望するのが厭でもある」とあるので、100%イコールではなくほぼであると思います。少しは疑念がないとこのような不安は生まれないと思うので、矛盾はしていないと考えます。しかし、今レジュメを見返すと「ほぼ」が抜けていたので、これは私の書き方が悪かったです。申し訳ない。

Q病院の場面の前で講義の時間を減らしているので、講義に対する思いはそこまであるか?
A「一、二時間の講義ぐらいなら聴き損なっても構わないという気で」(P64L10)より、講義のことを気にしていたり、病院内で「早足の歩調」で歩いていた(しかもこれは三四郎目線と言うよりは第三者目線のため、傍目から見てそう見える)ことより、学校内(よし子の入院している青山内科は東大の医学部の病院の一つ)にいるからには講義を受けたいという気持ちはあったのではないかと思います。少なくとも美禰子に会うまでは。

Q空(雲)のシーンの意図は?
Aこれは誰目線でもなく、雲の動きによって時間経過とこの後轢死の話をするため、空が曇るイコール暗い話をするとの前フリの意図を持たせています。それ以上の意図は持たせていませんが、確かに三四郎という作品の特に美禰子については重要な意味を持つ要因であるため、安易に使ってしまうと別の意味を持ってしまうな、とフロアシートを読んで思いました。

Q美禰子が病院内で当てつけ、誘惑をする意味はないのではないか
A三四郎が美禰子に気を持ってくれれば、この先三四郎は自分から美禰子に近づいてくれるし、三四郎と野々宮は名前を知っている間柄で一緒に散歩にもいく仲(池で野々宮が三四郎の名前を呼んだのも、美禰子は知っている)なので、これからもその関係は続くのではないか、と美禰子は考えたのだと思います。美禰子は結婚適齢期の終わりがけに位置しているので、三四郎を使えばリボンをくれた野々宮がやがて結婚を申し込んでくれるのではないかと考え、当てつけを強化する意味合いで三四郎を誘惑したのだと思います。目的がなければ、知っているよし子の病室をわざわざ三四郎に聞く意味もなくなるわけですから。

Q美禰子が担当箇所内で野々宮に「会いたい」となるか?
A美禰子は「明るい表の空気の中には初秋の緑が浮いているばかり」(P67L15)のところを振り返ります。端的に言ってしまえば緑以外特筆するものがないところです。しかも振り返ったということはさっきまで自分が歩いていたところです。目前に三四郎が現れたからと言って、野々宮がいるはずがない。美禰子はそれでも振り返って確認します。聡明な美禰子がいるはずもないことに気づかないわけがなく、それでも振り返ったのは純粋に野々宮に会いたいからではないかと思いました。野々宮に恋する一人の女性として恋人に会いたいと思うのは自然なことだと思うし、思い出すなら笑みではないかと思い、あの表現にしました。

Q「あの池の人だといいな」で三四郎が後ろ向いているのは何故か?
A「野々宮よし子」のネームプレートを見せ、それをいうことで初見の人にも野々宮よし子が池の女の人だといいな、とこの人物は思っているんだ、というのを分かりやすくした方からです。三四郎の顔とネームプレートを正面で撮ろうと思うと三四郎がドアに背を向けている不自然なカットになってしまうと思い、またドアの方を見ていないのも違和感しかなかったので自然そうなりました。

Q「お大事に」が無表情だが?
Aお互いに気まずいというのを表したかったからです。

Q池の回想で花を落とした後に野々宮がいると気付くのは矛盾していないか
Aこれは人物配置構成が悪かったです。美禰子は野々宮に気づいていて、三四郎の前に花を落とし、その後の様子を見るために振り返っています。その前に野々宮を見ているカットを入れるべきだったと後で気づきました。

Qよし子VS美禰子は美禰子が優勢でいいのか?
A少なくともこの場面ではいいと思います。野々宮が美禰子よりもよし子を思っているのなら、P115~の野々宮の家に三四郎が現れてよし子と話すシーンで三四郎のことを嫌いにならないと思います。野々宮がよし子第一なら好きな兄に愛されているよし子は美禰子ばかりの三四郎を何とも思わないはずです。あの場面で三四郎を嫌いになったのは「どいつもこいつも美禰子ばかり」という感情から来ていると思います。また、野々宮が美禰子を好きなのは、P311L17で美禰子に結婚式の招待状を破り捨てる野々宮から見て取れます。他の男と結婚した美禰子にいら立つのだから、野々宮から美禰子への思いも深かったのではないか、と推測が出来ます。結局はよし子が勝つ形にはなりますが、この時点では美禰子が優勢だと思います。

Q「言外」のアピールではないのではないか?
A美禰子がリボンの自慢を通してよし子に伝えたかったのは、自分の方が野々宮に愛されている、ということです。自慢は口にしましたがこちらは口にはしていないので「言外」のアピールだと思います。

Q野々宮の顔を強調した意図は?
A初見の人にも関係性を伝えようとした結果です。リボンというアイテムを中心にしたのでそのリボンは誰から誰の手に渡ったのかをキチンと理解してもらわないと、その思惑が伝わらないのでくどいぐらいにしましたが、後で振り返ると多少過多だったかと思います。反省点の一つですね。

Q三四郎は気持ちが沈んで終了するのか?
Aはい。担当箇所の最後、リボンが野々宮の買っていたリボンだと気付いた三四郎は、「急に足が重くなった」と感じています。これより三四郎の気持ちは沈んでいると思います。

コメンテーターの平野さん、発表を聞いてくださった皆さん、ありがとうございました。
天候により当初予定していた三四郎と美禰子の再会する場所を変更することとなり焦ってしまい、再会場所が病院っぽくないところでなってしまったこと、根拠を詰めるべきところでそれを怠ってしまったこと、反省点は様々ありますが、これらを教訓として生かして行こうと思います。
発表に関して、声は聴きやすいように気をつけましたが、考えがまとまらないうちに話し出してしまってしまったり、結局的を外した回答をしてしまったり、と発表に関する課題も多く見つかった発表でした。また議論することにより、自分の考えの至らなかったところも様々な意見をいただけて、大変参考になりました。この意見も含め、自分の表現の幅を広げていこうと思います。

皆さま、よいお年を!
 

皆様の疑問にお答えします。

 投稿者:金原祐子  投稿日:2015年12月25日(金)23時48分37秒
  メリクリということで、遅くなりましたが皆様からのフロアシートの疑問にお答えします。

○解釈について
Q:「手を出す」の範囲が広いのでは?
A:確かにこれは自分の解釈不足でした。美禰子は野々宮を嫉妬させるため(結婚を焦らせるため)、三四郎と一緒に二階にいたことを与次郎経由で伝えようと一人二階に残りました。「手を出す」というのは、実際に手を出したかどうかということより、「三四郎が美禰子と二人で(←重要)二階で何をしていたのか」ということを「匂わせる」ことが美禰子の思惑だったのではないかと解釈しています。なので、「手を出す」というよりは「もしかして二階で何かあったのか」と与次郎に思わせることが美禰子の目標だったと考えています。「手を出す」は私の誇大解釈でした。すみません。

Q:美禰子の「まあ」について。三四郎に度胸がないということは分からないのでは?
A:美禰子は池の場面で三四郎を選んで当てつけをし、病院でも出会っています。それから、三四郎の情報を集める期間が2か月あったとして、周り(与次郎や広田や野々宮)の情報を元に三四郎の基本情報までは入手していたと考えています。ただ、三四郎の内面までは一日では把握できないと私も考え直しました。階段で誘惑したにしても、いきなりそれこそ「手を出す」なんて欲望のままに動く三ちゃんではないと思うので、度胸とかの問題ではないなと思いました。そこで、私が再解釈した「まあ」は美禰子よりも低い位置で掃除をする、低姿勢な三四郎に驚いたのだと解釈しました。明治時代の男尊女卑という風潮の中で、自分より低姿勢で掃除をする三四郎に驚いたのだと解釈した方がまだ自然だと思いました。考え直す良い機会になりました。

Q:「この人は自分を一人の女性として見てくれる」という美禰子の心情と、三四郎が美禰子を勘違いから下に見ていた、それを美禰子が感じ取ったのなら矛盾しないか?
A:縁側のシーンでは美禰子は三四郎に対し、「私はそこらの明治の女とは違うのよ」という態度をとります。それはレジュメでも説明しましたね。(美禰子の西洋流の考えと三四郎の勘違い)そして、前述した解釈を利用すると「まあ」の解釈から美禰子は三四郎に少なくとも好感(恋愛ではない)を覚えたと考えています。つまり、美禰子は三四郎が与次郎や広田や野々宮とは違う考えをしている人間なのではないかと考えます。なので、美禰子の三四郎に対する心情も変化したと考えれば矛盾はしないと思います。「一人の女性」というよりは「一人の人間」として見てくれる存在が三四郎だったのではないでしょうか。

○映像について
Q:美禰子の着替えシーンいついて。BGMや尺の長さの意味は?
A:これむちゃくちゃ多かったです。予想通りでした。尺の長さについては、確かに自分も長いと感じたので編集し直そうと思ったのですが、何故か時間を編集できなくて発表まで時間も無かったのでそのままになってしまいました。BGMのセンスのなさは勘弁してください。
よって、尺の長さはカットをぶつ切りにして編集し直して短くしました。またBGMは変えました。ムーディーな感じのやつにしました。アルカラだけどな!!(そこはブレない)

Q:特効を減らしても良かったのでは?
A:確かに自分でも少し多いかなとは思いました。舞台設定が明治なので、余計な特効はなるべく入れたくなかったのですが、時間経過を表す術として特効を選びました。他に時間経過を表す術があるとしたら何でしょう。バカな頭では思いつきませんでした。時間経過以外の特効を二か所ほど減らしました。

Q:空の描写が少ないのでは?解釈の反映が少ないのでは?
A:そうですね。少ないです。一か所しかハッキリと空の描写を入れませんでした。意図としては、観客に自分なりの「空」をイメージしてもらいたかったというのがありました。ですが、それだと美禰子の心情が分かりにくいという問題点がありますね。なので、鳥かごのカットに白黒に加工した空を重ねました。また、最後の美禰子のカットに空を重ねました。最後の美禰子と空の描写をリンクさせました。

Q:エンディングの曲の歌詞に持たせた意味は?
A:宇多田ヒカルの「Beautiful World」をエンディングにしました。歌詞をそのまま載せられないので自分で検索してほしいのですが、サビの部分が美禰子の気持ちとリンクする部分があると感じたのでこの曲にしました。

Q:階段のシーンでのドキドキ感が少ないのでは?
A:自分の考えは凄く単純なので、心臓の音を入れたのと階段をゆっくり上ってもらうことぐらいしかドキドキ感を演出することができませんでした。もっと二人のカットを多くしても良かったと思います。

Q:最後、黒みに荷車の音だけフェードアウトするのでも良かったのでは?
A:貴重なご意見ありがとうございます。確かに、そっちの方が美禰子の心情を想像させるという点で良いと思います。美禰子の「落ちついた」表情を荷車の音と一緒にフェードアウトさせることで、私の解釈に反映させたかったので、今回はこのような形にしました。


コメンテーターの原田さん、フロアーの皆さん、本当にありがとうございました。
長かった夏がようやく終わりましたね。
撮影の苦楽を共にしたA班のみんな、大好きだーーーー!!
解釈をじっくり吟味してくれた先生も、色々アドバイスしてくれた先輩方もありがとうございました。
来年もよろしくお願いします!!
 

増田の発表

 投稿者:増田  投稿日:2015年12月16日(水)14時20分24秒
  今日はありがとうございました!
みんなの意見たくさん聞けてすごくよかったです。
とても楽しかったです!自分にとってとても価値のある時間でした!
コメンテーターのスガヌゥも、本当にありがとう!

みんなからのフロアシート読みました。
なるほどと思うと同時に自分の力不足を痛感させられました。
とりあえず、発表の時の喋り方などが場に適していなかったのはごめんなさい。反省その1。
フロアシートで1番多く書かれていたのが、美禰子という人物像を作り上げたであろう、彼女の背景にある孤独や葛藤、立場についてでした。
私は今回、美禰子の恋愛感情に重きを置いた作品にしました。しかしみんなからのフロアシートを読んで、美禰子の女性としての価値観を省くのは「三四郎」という作品を根本から違ったものにしてしまったのではないかと思いました。反省その2。そもそもほんとうに「三四郎」だったのかと思うほどの奔放な作品になってしまっていたんですけども。
そして、自分が喋りたかったあまり、時間をかなりオーバーしてしまいました。みんな他にも言いたいことたくさんあったよね。そして柘植くんの時間に大幅に食い込んでしまいました。柘植くんごめん。反省その3。

しかし、いち映像作品としてとても面白かった、という意見もたくさんいただき、とても励みになりました。それは褒め言葉だと信じてます。私、単純なので、めちゃくちゃ嬉しかったです。
みんなからのフロアシート、意見、感想を真摯に受け止め、今後の糧にして、もっともっと成長していこうと思います!
来てくれた松田さんも、コメントありがとうございました!

私の作品に関わってくれたみんなには、本当に本当に、とてもとても感謝してます!ありがとうございました!
 

金原さんの発表について

 投稿者:原田琴実  投稿日:2015年12月 9日(水)02時00分40秒
  遅れて申し訳ありません。コメンテーターの原田です。
金原さん発表お疲れ様でした。

議論について、様々な角度からの質問が挙がったという印象でした。映像に関する意図の質問があり、解釈への指摘があって、バランスが良かったと思います。
個人的には浜田くんの質問に対する金原さんの「物理的に近寄ったのは三四郎だが、近寄るよう誘導したのは美禰子だ」という回答が、二人のうち利用しようとしている美禰子の方が優位に立っていることや、あの場面の解釈について改めて気付くきっかけとなり良かったです。

コメンテーターとしての反省点は、時間調整が上手くいかなかったところです。
今後の参考にしたいと思います。

議論によって解釈が深まること、また映像を見ただけで気付けなかった意図が飲み込めることを実感しました。
金原さん、フロアーの皆さん、ありがとうございました。
 

江崎君の発表について

 投稿者:コメンテーターいいだ  投稿日:2015年11月19日(木)11時19分42秒
  遅くなりましたが江崎君発表おつかれさまでした。

江崎君の映像については、展覧会会場のあたたかい色味と青々しい森とのコントラストが印象的だなあと思いました。
三四郎が見上げた美禰子が木漏れ日でキラキラしててたいへん美しかったです(個人的好みの問題)。

先生の仰っていたように、質疑応答の際に、フロアからの質問を一度受け止めて咀嚼してから答えるという姿勢がよかったなあと思っていて、これは発表者側のときはもちろんなのですが質問者側の姿勢としても皆見習うべきところだなと思います。
よく見る光景で、発表の際「えー、」などを挟んでしまうと聞き手側としてはたいへん聞きにくくて頭に内容が入ってこないというのがあるのですが、江崎君のようにある程度話し方の構成を頭の中で構築しておいた上でレジュメを読み過ぎないように話すというやり方は、発表者側としてもフロアに向かって話すというのがしやすく、聞き手側も聞き苦しさがなくてお互いストレスを感じなくて良いと思うので今後の発表の方もそういったところを気をつけるといいんじゃないでしょうか。

解釈については、やっぱり人間というものはいろんな他人からの言葉や他人との会話や事件出来事が積み重なって少しずつ心も変わっていくし複雑になっていくので、文中のたった一箇所を抜くだけでそれが説明できるとは言い難いのかなと。
展覧会での三四郎と美禰子というのはその前に教会での出来事(二人にとってはわりと大事件だと思うんだけどなあ)があるわけで、そこをすっ飛ばして人物の解釈を書いていたように思うので外してほしくなかったなと思いました。

何書いていいのかわからなくなってきたのでこれにて。
発表者いいだの事は当分お待ちください…
 

議論お疲れ様です。

 投稿者:コメンテーター 江崎  投稿日:2015年11月13日(金)17時45分19秒
  飯田さんをはじめとして、みなさんお疲れ様でした。
まず、飯田さんの映像について、映像自体の綺麗さ、つなぎ方、後半までクローズアップを溜め込んで一気に放出する見せ方、セリフの選び方、どれもセンスを感じるもので感心した。
そのためか今回は解釈についての議論が活発となった。
そのなかで自分は、近藤くんの「三四郎がずっと自分を想う保証がない」という状況下において、みねこは「しあわせ」で有り得るのかという質問がいいと感じた。発表者が重きを置いた「しあわせ」というタイトルに対して正反対の考えを示し、発表者はその考えと自身の考えを比較することで、より解釈を深めることができそうだ。
また、先生を呼び起こすこととなった浅野さんの質問も、根拠を見直すという点で良かった。浅野さん自身の担当箇所が通帳をメインとしたシーンであったために、他の人よりも敏感に察知したのであろう。各々が担当箇所を担っているという意義が現れた議論であった。

そのほかにも平野さんや窪田くんもレジュメや本文における解釈の揺れそうな、微妙なニュアンスで表記された部分について言及していたのが良かった。

議論の内容が濃くなってきたなか、今後の課題としては議論の時間をいかに上手く活用するかを考えたい。
今回はレジュメを使った発表の時間が長く、議論の時間が25分ほどしか取れなかった。また、仕方ない部分もあるが、聞きたい質問に行き着くまでに何度か問答が繰り返される場面もあった。
改善方法として、「読み上げる」のではなく「参考程度に見る」レジュメ作りをすることで議論の時間を増やし、質問者はまず「どう聞くか」ではなく「何を聞くか」を意識することが挙げられる。
より多くの質問者との議論を通して考えを深めていくことが重要だ。

残り少ないゼミの時間を最大限活用していきたいですね!(o^∀^o)

長くなりましたが、以上です。

※発表者 江崎のコメントはもう少々お待ちください
 

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